セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』を読んだ

 話題になった『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(以下『ブルシット・ジョブ』)を訳した酒井さんが、原著の内容を分かりやすくまとめたもの。

 『ブルシット・ジョブ』の著者であるデヴィッド・グレーバーは2020年に亡くなってしまったが、『負債論──貨幣と暴力の5000年』『官僚制のユートピア──テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』など、内容が気になりすぎる著作をいくつか遺している。全部読みたい。中古でも4000円~6000円で値崩れしてないので、よほど眼識の深い方だったのだろう。

 

ブルシット・ジョブとは何か

 『ブルシット・ジョブ』はアメリカで刊行されてヨーロッパでも反響があったことから分かるように、日本以外の国でも話題作となった。『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(以下、『ブルシット・ジョブの謎』とする)にも、原著からの抜粋で何人かのブルシット・ジョブ証言を読むことができる。その内容を見ると、生産性が低いとかお役所仕事が得意と揶揄されがちな日本でも見られるような、そういった類の賃金労働が、アメリカやヨーロッパでも蔓延っていることが分かる。

 ブルシット・ジョブの定義は、

BSJとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、被雇用者は、そうではないととりつくろわなければ(pretend)ならないと感じている。(BSJ 27~28)

 とされている。(BSJ=ブルシット・ジョブ)

 勘違いしがちなのが、日本で非正規に分類される賃金労働の多くは、業務内容と賃金が(悪い方向に)見合わない「シット・ジョブ」であること。宅配や介護や保育は、完璧に意味があるからブルシット・ジョブにはならないのだ。どちらかというと、正社員や出世した正社員に期待される管理系のオフィスワークがブルシット・ジョブに当たる。もちろん、全部ではないが。

 特に印象に残ったブルシット・ジョブがこれ。

 

  • 勤続25年の「ベテラン」が上手く能力を発揮してくれず、そのベテランがやるべき業務を行う新しい職務をでっち上げ、そのでっち上げの職務のために新しく人を雇い、しかもその新人にはでっち上げの職務に合わせた適性があることをでっち上げねばならなかった。
  • 大学の歴史学科卒業生が、何故か大手デザイン会社の「インターフェース管理者」に採用。その業務の実態は、学歴派閥による競争で連携が取れていない部署を上手く連携させること、をしているように見せかけて実際には何もしないこと。(連携の悪さを問題視していたのが社内のごく一部で、殆どが現状維持を希望していたため)つまり、仕事が無かったので、最終的には出張を装って昼間からバーに入り浸るなど、堂々とサボるようになる。そこから鬱になってドラッグにも手を出して退職。

 

 全く生産性がなく、本人たちも無意味だと自覚しており、それでも意味があるとでっち上げねばならない。そのため、この2つはブルシット・ジョブになるのである。それにしても、想像するだけで目を覆いたくなるような苦行だ。

 特に、「自分の仕事に意味があるとでっち上げねばならない」は、私自身が賃金労働をしていたなかで、特に苦痛だったことでもある。ブルシット・ジョブ証言者の中にも、

その仕事は、学生会館の売店としてはかなりふつうのもので、(機械化もかんたんなはずの)レジ打ちのサービスに従事するものでした。はっきりと明示された条件があって、(中略)実質的には機械がほとんどこなせる仕事をやらせたいばかりか、それをわたしがたのしんでいるかのようなふりをさせたかったのです(BSJ 111)

 というものがあるが、もう、まさにこれ!である。

 特に去年までやってた電話仕事が顕著で、1~2時間ほどぶっ続けで、例え悪態をつかれてもニコニコペコペコしながら電話をかけ続け、終わったらトイレに駆け込んで泣きながら吐き気に耐える、といった具合。これが本当に辛くてしんどくて苦しかった。

 そして朝、歩くだけで頭痛と吐き気が充満する状態でも、会社に着いたら表情をパッと切り替えて「おはようございます!!^^」これも苦痛だった。いっそ、案内ロボットと同じ脳みそに改造して欲しいくらいだった。こんなの、人間というか動物の生き方じゃないし。

 ちなみに、私がやってた電話仕事というのは、メールでも代用できた。電話の存在意義は、敢えて使うことで誠意を示すためと、ネット対応してない(ごく僅かな)アナログ企業にコンタクトを取るため、だけのものだった。無意味で有害な雇われということで、この電話仕事もブルシット・ジョブだったというわけですよ。

 

 …と、自分語りが過ぎてしまうのでこのくらいにしておく。

 

 

ブルシット・ジョブの誕生と蔓延の謎

 『ブルシット・ジョブの謎』は、こうしたブルシット・ジョブ証言を読めるのも面白いが、本題はもちろん、どうしてブルシット・ジョブが生まれて蔓延っているのかを解説することだ。『ブルシット・ジョブの謎』はあくまで解説本なのでページ数こそ原著の半分だけど内容は濃い。封建制、マルクス主義、ケインズ経済学、ネオリベラリズム、あたりを知っていると読みやすいと思うけど、酒井さんの解説が分かりやすいので知らなくても大丈夫。

 ザックリまとめると、こんなかんじ。

 

  • ブルシット・ジョブが苦しい理由は、自己・自由・想像力が奪われることで世界に影響を与えることができなくなること。また、モノではなく人間の生産を目的とするコミュニズムが人間の生活の基盤であるが、このコミュニズムの外に置かれるためである。
  • 経営者の見栄えを良くする存在が必要だったことと、完全雇用を目指す社会的プレッシャーが、ブルシット・ジョブを生んだ。
  • エッセンシャル・ワーカーやシット・ジョブ(社会的に意味はあるのに「割に合わない仕事」)の賃金や地位がブルシット・ジョブよりも低い、という逆説は、奉仕は無償であるべきという古い固定観念を、ブルシット・ジョブに携わる人々が意味のある仕事に対して抱く反感などから倒錯して起こる現象である。これが支配階級には都合の良い現象なので、いつまで経っても改善されない。
  • グレーバーによれば、ネオリベラリズムは「経済的プロジェクトに粉飾された政治的プロジェクト」。その結果、誕生したのが、資本と国家が相互に浸透した官僚制である。例えば、電通とパソナ。
  • 普遍的ベーシックインカムが実現した世界を想像することは、労働から解放された人間のあり方を想像すること。

 

 詳しくは、本編で!

 

 

無意味な賃金労働をしている自分に「悩んでいいのだ」

 最後に、こちらの引用を読んで欲しい。

Amazon.comの『ブルシット・ジョブ』の販売ページのレビューの上位には、ある不動産業界で働く女性のものがあがっています。そこで彼女は、この本で、命が救われた、生きようとおもったといっています。問題を問題として特定するだけで、なにかぼんやりとしたもやもやを言い当てるだけで、このようなカタルシスが生まれる場合があります。それはこうした人の悩みに悩み方を与えた、「悩んでいいのだ」という裏づけを与えた、ということに由来しているとおもわれます。(『ブルシット・ジョブの謎』p103)

 空虚な賃金労働が苦しい。正しい生き方のハズなのに、何がこんなに苦しいのか… そういう人が、『ブルシット・ジョブ』で救われている。そう、「悩んでいいのだ」。いや、悩むべきなのだ。

 私も早く『ブルシット・ジョブ』読みたい!!! 

 そのためにも、ブルシット以外の労働でおカネを稼いで本を買わねば!!!