セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

「人生の意義」を考える無職

toyokeizai.net

 

 youtubeひろゆき切り抜き動画をたまに見る。記事中にもあるけど、「『なぜそう考えたのか』という理由や根拠を、できるだけ説明」してくれるので、聞きやすくて面白い。

 

 この記事は「人生の意義は考えなくていい」という、無職にピッタリ(笑)のテーマである。まずは、自己肯定感の話から始まる。

自己肯定感が低かったり、自分を好きになれない理由として「自信を持てることが何もないから」を挙げる人がいます。

 それについては、

自信に根拠なんて求めたりしないほうがよいと思いますよ。崩れたときにキツいです。

 と、結ばれているのだが、その理由として、

たとえば、「自分は勉強ができる」と自信を持った人がさらに努力して、東京大学に合格したとします。でも、入学してみたら、周りは自分と同じか、もっと勉強ができる人だらけです。

若さにこだわっているような人は、やがてその自信の根拠を失っていくでしょう。だって、毎年どころか毎日、歳を取っていくのですから。

 

 と、ある。「自信」は強力な武器だが、ある条件下では極端に脆くなるという弱点がある。ひろゆき氏は、それを「崩れたときにキツい」と指摘しているのだろう。

 「自信」が脆くなる条件というのは、他人の「自信」と比較して「根拠なんて求めたり」することである。まさに記事中にある、東大連中と地頭の出来具合を比較する、年下と年齢を比較する、といった行為だ。

 これは私自身もクセになっていて、「自己肯定感が低かったり、自分を好きになれない理由として『自信を持てることが何もないから』」も、まさにその通りだったりする。学生の頃から馬鹿にされ続け、それでも愚直に勉強し続けたら「お前はカネにならない」と社会から閉め出され、息をするだけの奴隷として納税義務を果たしながら存在し続ける。と、いう人生なので「自信を持てること」なんて本当になーんにもないし、当然そのせいで自己肯定感も低いと思っていた。

 しかし、どうして「自信」は「根拠なんて求めたり」すると脆くなってしまうのだろうか? 実は無職になって心身に余裕が出てきたのか、自己肯定感やその元となる「自信」について、根本的に認識を誤っていたのでは?と考えるようになっている。(そのタイミングで、このひろゆき氏の記事を目にしたというワケ)

 己肯定感」も「自信」も、あくまで主観的なものである。だから、自分一人で独占するのが正しい使い方で、そこに他者を介在(させて「根拠なんて求めたり」)するのは間違った使い方ではないか。間違った使い方をするから、自己肯定感や「自信」が本来の力を発揮できず使い物にならないのではないか。

 これが、自己肯定感が持てず苦悩し続けている私の、現時点の考えである。

 

 

 そして、これも自己肯定感が低い人あるあるだと思うけど、社会に貢献している他者(=自分以外のほぼ全ての人間)への強烈な劣等感から、自分の生の意味や命の価値に疑問が生じ、このまま生きるべきか今すぐ死ぬべきかが分からなくなって、苦しんだりする。

 これについても、ひろゆき氏は、

この世にある生死のすべてに意味はありません。(中略)だから、人生の価値や意義とか、考えなくてもいいんじゃないでしょうか。

 と言い切っている。ただ、その根拠が「人類に貢献することと、その人自身の幸せは、まったくの別もの」というものなので(記事中ではスティーヴン・ホーキング博士の例を挙げている)、「その人自身の幸せ」が「人類に貢献すること」(=人生に「価値や意義」を持たせること)である人には通用しないが。

 だけど、先ほども書いたように私自身は、無職になってから、他者を介在せずもっと主観的に生きて良いのではないかと感じ始めている。

 (自ら望んでそうなった)無職にとっての「その人自身の幸せ」とは、「人類に貢献する」有職者の真似をすることなのだろうか?それは結局、無職という自分の「人生の価値や意義」を否定し、自信の喪失と自己肯定感の破壊へと至るのではないだろうか?

 もし、「人類に貢献する」(=「人生の価値や意義」)と「その人自身の幸せ」が同一ではないと分かっているのなら、割り切って自分の事だけをトコトン考えるという生き方もある。そうしてトコトン主観的に生きることで、「自己肯定感」や「自信」も生まれるのではないか。いくら割り切ると言っても、他者の不幸になることをしてはいけないが、その上で「自己肯定感」と「自信」を持ち「その人自身の幸せ」を理解して生きていれば、少なくとも「人類」に迷惑をかけることにはならない。それで十分じゃないだろうか。

 

自分にとって楽しいことを5個ぐらい見つけて、毎日それをやっていると、満足感がありますよ。 すごい実績なんてなくても、人って結構簡単に幸せになれるのです。

 

 確かに無職になってから毎日楽しいけど、言われてみれば「楽しいことを5個」もはやってない。実際に毎日5個も違うことをやってると大変なことになりそうだけど(笑)、毎日できるような「自分にとって楽しいこと」を5個挙げられるという人生こそ、私にとって意義のあるものなのかもしれない。

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