セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

『幼年期の終わり』 アーサー・クラークの先見性

 アーサー・クラークの『幼年期の終わり』を読んだ。

 SFといえばコレ!という名作ときいて。

 

 宇宙人が強力な科学で人類を圧倒するのは『三体』と同じ。宇宙人の科学ってスゲー!はSFのお約束なんですかね?

wataridori-project.hateblo.jp

 

 『幼年期の終わり』の侵略は敵対的侵略ではなく、大部分の人類は進んで家畜化されるという侵略(第二次大戦後の日本と米国のようなかんじ)なので、雰囲気は『三体』とは大分異なる。まあ、時代も作者も全く違うしね。(『幼年期の終わり』は1953年のイギリス人で、『三体』は2008年の中国人。ただ、どっちもテクノロジーに詳しい)

 

 『幼年期の終わり』も設定はしっかりしてるんだけど、『三体』の変態的な書き込み具合には及ばず。

 例えば、地球人類を支配するオーバーロード(宇宙人)が地球から争いや労苦を無くして平和を実現するのに、思想的科学的な方法を用いたようなんだけど、具体的にどうやったかの説明は無し。「なんか宇宙人ならではのすごい方法で、気が付いたら地球は楽園になっちゃった」みたいな書き方。うーん、そこが知りたいんだけどなw

 まあ、読みやすさで言えばダントツで『幼年期の終わり』。魅力的な宇宙人がいたり、衝撃的で妄想が膨らむラストっていうのは変わらないしね。

 

 オーバーロードが実現した楽園は、「空に雲一つない長い夏の午後にも似た平和と繁栄を享受(p214)」できる世界だった。

 

 百年前なら、余暇がありすぎて大きな社会問題になっていたことだろう。教育がその問題のほとんどを解決していた。豊富な知識は退屈から身を守る盾になるからだ。(p216)

 

 資本主義はほぼ鳴りを潜め(公共サービスや生活必需品は無料)、個人が「持てる知的能力を発揮する(p216)」ことが重要視される時代。これが1950年代に書かれているというのが興味深い。それから70年経った現在でも、AIが普及した社会のシナリオの一つとして、全く同じことが期待されているのだから。(言い換えれば、世界は70年間も停滞したままということだが…)

 余談だけど、労働者不足が予想される日本で教育費が削られている理由が、何となくここで説明されてますね。まあ、実際は単純にカネ(とウマミ)が無いのが理由なのかもしれないけど…

 

 続けてこんな描写もある。

 

 もちろん、まるで働かない者もいることはいた。とはいえ、怠惰な人生をとことん満喫できるほど強い意志を持った人々の数は、一般に想像されるよりもはるかに少なかった。ただ、そういった社会的パラサイトを養っていくのは、大勢の改札係や販売員、銀行員、株式仲買人など、地球的視野から見れば帳簿のある項目を別の項目に移すだけの機能しか果たしていない人々を養っていくより、よほど安上がりにすんだ。(p217~218

 

 アーサー・クラークってメンサに所属して軍の上層部もやってた超エリートなのに、いや、超エリートだからこそなのか、70年前の時点でブルシット・ジョブの害を指摘していたのが驚き。

wataridori-project.hateblo.jp

 

 「社会的パラサイト」が、「帳簿のある項目を別の項目に移すだけの機能しか果たしていない人々」より実は社会的コストも悪影響も少ないという考え方は、(少なくとも日本では)ここ数年で、ごくごく一部のはみ出し者が、ネット上で声を潜めてようやくヒソヒソと発言できるようになった反社会的(?)内容なのに…

 

 

 そんなこんなで地球人類は新しい段階に突入した。

 これは、人類の進化とも言えるが、それが行き着く先は何なのか?宇宙が地球人類に進化を求める目的は何なのか?

 を、解き明かすようにして物語は結末に向かう。ここらへんから、思想的な描写(アーサー・クラークは仏教徒ではないけど、仏教を信じていた)が増えていき、オーバーロードの母星やテクノロジーが出てくる。

 

 SFなのに、地球の楽園像ばかりに考察の目が向いてしまうのであった…

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