セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

『欲しい!』はこうしてつくられる 脳科学者とマーケターが教える「買い物」の心理

 消費者の脳はモノを買うとき、どんな反応をしているのか。

 消費者にモノを買わせるために、企業がどんなマーケットを行っているのか。

 を解き明かす一冊。

 

ブランディングは「つながりをつくるための活動」

 本書ではブランディングを、「つながりをつくるための活動」としている。

 そこで重要視されるのが消費者のメンタルモデルである。メンタルモデルというのは、消費者がブランド(の商品)に接触した時に、五感で感じ取る体験そのもの、ということである。

 というわけで、本書では味覚・触覚・嗅覚・視覚・聴覚という言葉と、タイトルにある脳の働きに関する実験例などが頻出する。マーケットは生物科学だった!

 

都会は歩いてるだけで疲れる!のは、脳があれもこれも記憶させられているから

 私たちが記憶だと思って想起するものは、実際には符号化されたオリジナルの出来事を再構築したものにすぎないのだ。(p99)

 

 符号化=記憶すること、なのだが、特に注意を向けさせたり、五感に刺激を与えたり、負荷や音楽をかけることで脳に強く印象付けられることをいう。ここまでして脳に刻まれた(刻みつけられた)記憶が、事実ではなくその人のオリジナルにすぎないというのである!

 ということは、消費者がとあるブランド(の商品)に接触したときの体験を、うまく符号化することができれば、ブランドの望み通りの記憶を消費者が勝手に作ってくれるということだ。

 もちろん、そんな簡単にはいかないから、企業やブランドは広告費に莫大な費用をかける。流行のモデルに自社の化粧品を使わせたり、アップテンポな音楽を流しながら自社のラーメンを旨そうにすすらせたり、駅の入り口みたいな嫌でも目に入る場所に巨大な広告をドーンと掲げたり、逆に小さな広告を何個も何個も並べたりする。消費者の注意を向けさせ五感に刺激を与えて、自社の商品を強く記憶させたい、つまり符号化させたいのである。都会を歩いたりテレビを見ていると妙に疲れるという人は、恐らくこれも原因の一つでしょう。

 

売り手も買い手もニッコニコ、「オートマチックモード」消費

 ウェブサイト上でマニュアルモードへの切り替えを求められるのは、偶然ではない。そこには、利用者に見つけてほしくないという企業の意図が働いている。(p136)

 

 人間はラクをしたい生き物だが、それは脳も同じである。脳は、最もシンプルに最善の推測を実行する知的労力最小化の傾向にある。本書では、これが脳の初期設定で「オートマチックモード」としている。反対に「マニュアルモード」は、最善の推測を実行するまでに試行錯誤することで、初期設定に対するカスタム(個別)設定のようなもの。しかし、「オートマチックモード」から「マニュアルモード」への切り替えは疲れるので、脳としてはやりたくないのである。

 例えば、ショッピングサイトで購入をキャンセルするボタンや、サイトの退会用リンクが巧妙に隠されているのは、脳のこの習性を利用しているという。買い物やサイトのコンテンツは、指と目線をチョチョイと動かすだけで簡単に実行できるので、「オートマチックモード」のままで目的を達成できる。しかし、隠されたボタンやリンクを探すには「マニュアルモード」に切り替えてあそこかな?ここかな?と探さねばならない。せっかく楽しくお買い物してるのに、そんな面倒くさいことやりたくない!こうして、何となくカートに放り込んだ商品をそのまま購入しちゃうし、退会を諦めてしまう。それこそが、冒頭の引用にある企業の意図なのである。

 また、衝動に抗う力の事を「Kファクター」と呼ぶらしく、「Kファクター」が高い人ほど「マニュアルモード」指向になり、低いと「オートマチックモード」指向になるという。当然、企業側は(消費)衝動に抗わない「オートマチックモード」の顧客を欲しがるサイトが便利になるほど、「オートマチックモード」の顧客が増え、そのサイトでの買い物に抗うことがどんどん難しくなる

 

 

その買い物、自分の意志ですか?それとも「依存2.0」による行動ですか?

 いまでは、消費者が向ける注意そのものが通貨となったのだ。ようこそ依存2.0の世界へ。(p201)

 7章のタイトルは「依存2.0 デジタル時代における強迫行動を収益化する」である。

 

 私はこれまで、クレジットカードを使いこんだり、(最終的にはより多くのおカネを払うことになる)分割払いやリボ払いが個人の支払手段として流布している理由が、イマイチ理解できなかった。ビジネスなら分かるんだけど。

 その理解の一助となるアイディアが、本書にはある。「おかねを手放すときのいちばんつらい形は、紙幣を物理的に手渡すやり方だ。(p187)」とした後で、こう続けている。

 

 となれば当然、支払体験が非現実的であるほど痛みは少ない。こういう意味でも、ラスベガスはとても危険だ。カジノでは現金をチップに両替する。これは取引なので、何かを失ったという感覚はない。ただし、現実の紙幣に比べると、チップへの思い入れは少ない。チップを失うことの痛みはどんどん麻痺し、その結果、どんどん賭け続ける。(p188)

 

 おカネを物理的に手放すのが嫌なら、その前にチップへの両替という「取引」を挟んで抵抗なく手放してもらおう、というのがカジノの戦略だとしている。カジノはデジタル以前からある商業だが、取引するおカネを物質として扱わないという点でデジタル時代の消費の前駆ともいえる。

 そして、カジノのチップよりもさらに現実味がなくなるのが、クレジットカードやデジタルでの取引だという。おカネを物理的に手放すという心理的負担がさらに減るだけでなく、「購入の支払いを終えるまで満足を先送りにするのではなく、満足は前倒しになる。(p190)」、つまり(一か月後に支払明細が発行されるまでは)おカネを払ってないのに商品だけが手に入った、という嬉しいオマケ付き!

 本書によると、これは脳が損失を回避しようとする仕組みを利用したマーケティングだという。オンラインショッピングもリボ払いも電子決済もギャンブルのように人々が浪費してしまうのは、損失を後回しにしつつ満足だけが前倒しになる喜びでドーパミンがドバドバ出ちゃうからなのだ。

 このような、脳の仕組みを利用した「買い物」に於いて、消費者が自分の意志でおカネを払っていると言えるのだろうか?安易に分割払いを勧めるようなマーケティングが、健全なのだろうか?もちろん、本書は否定的だ。

 

 現状のマーケティングの倫理観ははっきりと、広告やキャンペーンに対してどう反応するかは消費者が自由に決めるものであり、広告は何らかの形で消費者に影響を与えるものの、最終判断を下すのは消費者の自律性にかかっているという前提に立っている。だが実のところ、消費者は自律しているというこの前提が、マーケティングにさまざまな手法を許している。(p340)

 

 企業やブランドは、消費者を身体的に拘束するわけではない。その代わり、消費者の脳や精神を拘束し、自社の商品に注意を向けさせ、喜んでおカネを出す気にさせる。これを依存と言わず、何と言うのだろうか。そして、これこそが、世界的に認められる清廉潔白なマーケティングなのだ!

 まあ、売り手も買い手もニッコニコなんだから別にいいじゃん、と言われればそれまでだが。 

 

 

マーケティングの未来

 私たちは消費に依存し、消費はつねに私たちを形づくるので、境界はやはり曖昧だ。どこで消費の世界が終わり、どこから消費者としての自分の世界が始まるかと問われれば、返答に窮する。(p347)

 

 「マーケティングの未来」は、本書最終章のタイトルである。

 資本家は人格を持った資本である、とはマルクスの言葉だが(『資本論』に書かれている)、「消費はつねに私たちを形づくる」も同じようなニュアンスだ。消費が物々交換や自給自足を指すなら、人間は比較的狭い地域とそこにあるモノで暮らす生き物になる。逆に、現代のように消費が種類も距離も量も無限に広がるような環境では、人間もそれに見合った行動を取るようになる。売り手はどこまでも売り続け、買い手はどこまでも買い続ける、無限の「買い物」。人間は「買い物」のために生きているのか、それとも、「買い物」が人間を利用して繁栄しようとしているのか。人間は、このまま人格をもった「買い物」になってしまうのだろうか。

 マーケティングの未来を考えることは、人間という種の未来を考えることと、同義なのかもしれない

 

 

余談

 かなり熱く語ってしまった(4000字超えw)けど、まだまだ面白い考察や研究が本書にはたくさん掲載されている。ボリュームはあるけど難しい内容ではないので、「企業ってモノを売るために色々やってるんだなー、大変だなー」と、しみじみ感じながら読むのも一興かと思います。

 

 一つ、買い物とは関係ないけど、ベーシックインカムに関する考察がある。

 

 貧しい人々がファストフードを買うのは、経済的なストレスにより、脳の意思決定機能が目先の喜びを優先し、長い目で見た解決策を避けようとするせいなのだ。(p161)

 これに続いて、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学で心理学を研究するジャオ博士の「貧しい人が貧しいままなのは(中略)、貧しい状態そのものが原因なのです。」が引用されている。

 

 海外のベーシックインカム実験によれば、経済的効果については疑問視されるものの、精神面では良い効果を残している。

gigazine.net

gigazine.net

 

 また、脳が貧困によるストレスによって目先の快を追求するあまり「オートマチックモード」から抜け出せず現状がいつまでも続く、という現象は、「貧しい人々」を「労働者」に、「経済的ストレス」を「労働的ストレス」に変えてもそのまま当てはまる。経営者にとって「オートマチックモード」の人間は、カネを使わせるにしても作らせるにしても便利な存在なのである。

 「オートマチックモード」人間が資本主義の原動力になっているのだから、その設定を解除しかねないベーシックインカムが歓迎されないのは、当然というべきか。

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