セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

地方に住むなら、電車の広告がない地域がいい

 ギガジンにこんな記事が載っている。

gigazine.net

 広告の支出が増えるほど国民の幸福度が低下する、という実験結果が出たらしい。本格的な研究ではないらしく、記事中では「人間が相対主義的に自分の幸福度を測る」ことが一因なのでは、というような書き方をしている。広告されているモノを持っていないと感じさせることでストレスを与えて幸福度を下げ、消費行動に走らせるのが資本主義の仕組みなのだから、その指摘はもちろん正しい。ただ、私はそれだけではないと思う。

この1か月は贅沢に2回も旅行をしてしまい、それぞれ岩手と香川に行ってきたのだけれど、どちらも広告を見る機会が非常に少ない。広告が少ないということは、視界を介したストレスが少ないということだ。ちょっと想像して欲しいのだけれど、一番最後に行った都会と地方をぼんやり思い出してみる(深く考えないで)と、都会は建物や人間や広告その他諸々がバーッと浮かぶけど、地方だと広い山とか民家だらけの街並みといったワンパターンな風景を思い出す人が多いんじゃないだろうか。つまり、目に入ってくる情報の量が全く違う。

これ自体はどちらが良い悪いではなく、例えば買い物をしたりテーマパークで遊ぶときには情報量(=視界ストレス)は多い方が良い。情報が増えるほど自分好みのモノを探しやすいし、ストレスが刺激になって買い物や遊びをよりハイテンションで楽しめる。いくら貧乏症の私とはいえ、買い物目的で東京へ行ったのにユニクロのジーンズやロッテのチョコパイばっかり並んでいたらガッカリする。問題は、逆にリラックスしたいときやルーチーンワークをこなしたいときで、ここの情報量(=視界ストレス)が多すぎるのだけれど、広告はその大きな要因になっているんである。インターネット、通勤途中の電車、暇つぶしに手に取った雑誌や新聞。四六時中、お買い物をさせられているようなものだ。(しかもカネなんか持ってないのに)この四六時中お買いもの状態が私には必要以上のストレスなので、電車内ではできるだけ漫画やゲームに頼り、ネットでは広告駆逐アプリを使っている。こういう人は(自覚がない人も含めて)多いんじゃないだろうか。

というわけで広告による幸福感への弊害は、モノを所有してないことからくる劣等感だけでなく、お買いものの緊張感から逃れられないことによるストレス過多も、あるんじゃないだろうか。ちなみに、地方の電車は広告が少ない(或いはない)。素晴らしい利点なのだけれど、それだけ過疎っているということでもあるので、喜ばしいかといわれると複雑。

 

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