セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

他人と比較する人生は虚しいよ

昨夜、バーで顔なじみと飲んでいて、趣味トークの話になった。

プロレスとか映画とか音楽とか、私には分からない人名、題名、専門用語が飛び交っていた。少々時代を遡っていたこともあって私にはチンプンカンプンだったが、同席していた大学時代の知り合いが雑学好きで、様々な界隈の知識を蓄えているもんだから会話に参加できていた。会話に参加できていないのは、私だけだった。

今までは、こういう状況でも聞いてるだけでそれなりに楽しかったし、質問して教えてもらったりもしていたんだけど、何故だか昨日は全くそんな気になれなかった。会話の途中で気になった映画があったので、それをウォッチリストに追加するためにスマホを開くほどだった。(私は他人と会話しているときは、写真を見せたり情報を調べる時以外は絶対にスマホを見ない)

なんというか、昨日は急に虚しくなったのである。私は、彼らのように熱く語れるような趣味がない。大学時代の知り合いのように、色んな知識を蓄える好奇心や記憶力もない。思えば、何かに一途に打ち込んだという経験が無い。みな一つや二つは持っているものだが、私にはない。数十年生きてきて、同じことを感じる機会は何度もあった。流行の話題に入れない、昔から語られ続けてきた文化も分からない、会話が楽しくない、どうして私はこんなに無知なんだろう、もしかして私はおかしいんじゃないか、病名が付いていないだけで私には何か欠陥があるんじゃないか。今までは、そういった思考の結末は「劣等感」だった。その場にいた人間と自分を比べて、自分が駄目なところを噛みしめて一人で落ち込んでいた。だけど、昨日感じたのは「虚しさ」だった。赤の他人が自分が感知しない話題にも、それに引け目を感じている自分にも。何だか急に、全てがバカバカしくなった。どうして私はこんなにも他人のことを気にして、自分で自分を貶めているんだろう。そんなに気になるなら、自分も映画を観たり、音楽を聴いたり、すれば良いじゃないか、他人と飲んでないで、一人で好きなように。

ここ数年、知り合いが増えたり好きな異性が出来たりして他人と一緒に何かをすることを求めていた。でも、フラれたり連絡を一方的に断ち切られたりしてマイっていた上に、巷に溢れる広告やインフルエンサーの宣伝や若くしてビジネスに成功した前途有望な同年代の方々のインタビューなんかを目に耳にグリグリと抉り込んでくる現代社会にも疲れていた。常に自分を誰かと比較し、彼らと一緒にいるために、彼らに近づくためには彼らのようになるしかない、こういうモノを買えば、こういうサービスを受ければ、もっとマトモな自分になれるだろうか… この思考が自分をどんどん駄目にしていることに、何故だか昨晩、急に気が付いたんである。

正直言って、今は一人で活動したい。それも、ただ一人になるんじゃない。「他人と比較しない」まま一人で生きていきたい。友人が欲しくないわけではない、一緒にいたいと思える友人だったらむしろどんどん増やしたい。でも、気が合わない人のことはもう考えないようにしたいし、恋人を作る気も今はもうない。つまり、自分の何かを犠牲にした(あるいはする恐れがある)上での人付き合いは、しばらくしたくない。今まで通りの人付き合いを続けていれば、今の私では他人と比較して自己嫌悪に陥って…の繰り返しになってしまう。だから今はただただ、自分の心の声や直感の言うことだけを聞いていたい。そしていつかは、「これが私です」と誰の前でも自信を持って堂々と宣言できるようになって、「他人と比較しない」まま人付き合いをしたり恋をしたり、してみたい。(恋愛は年食うと厳しいけど)

このブログも、ぶっちゃけ記事数も多くないし、まだまだ書き足りない。読んでくれた人が「へえ、こんなこと考えてるロクデナシもいるんだ、とりあえずブックマーク」と思ってくれるブログが理想なんだけど、まあ理想なんて気張らずに書きたいことを書き散らすだけでもいいよね。