セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

『方丈記』 古典の名著だけど、読む人をかなり選ぶ

 

 セミリタイア界で、しばしば話題に上がる『方丈記』を読んだ。ちくま学芸文庫版は、東大出身の文学教授の解説付きである。

 

 ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と梄(すみか)と、またかくのごとし。

 

 上記が冒頭の有名な文章だけど、これに共感できない人は『方丈記』を読んでも無意味なので、別のことに時間を使いましょう(笑)。

 この後は当時の京都を襲った数々の天災および人災(大火事→竜巻?→大飢饉→大地震)とその惨状を次々に書いていき、この世はなんて住みにくいんだろう、だから隠遁しました、と続く。というか、そこで終わる。

 ちなみに、人災というのは大飢饉のこと。確かに悪天候も原因だったのだけれど、強引な遷都に続いて源氏と平氏が戦を繰り返していたことで、政治が機能していなかったことも大きかったらしい。

 

 そんな激動の時代のなか、「たましきの都」もそこに住む「世の人」も、どんなに立派だろうが卑しかろうが、次々に壊れていき、死んでいき、数十年もすれば家があった場所は畑になり、見知った顔は居なくなる。鴨長明は、そんな俗世を「住みにくき世」「あられぬ世」と悟って隠遁し、最終的には京都の日野山に一丈四方ほどの庵を建てて(一丈四方は縦横約3.03m=四畳半~五畳半ほど。「方丈」は一丈四方の広さのことを指し、題名の『方丈記』もここから来ている)、一人で暮らしていた。

 

 春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方ににほふ。夏は郭公(ほととぎす)を聞く。語らふごとに、死出の山路をちぎる。秋はひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世をかなしむほど聞こゆ。冬は雪をあはれぶ。積もり消ゆるさま、罪障にたとへつべし。

 

 これは、日野の庵での暮らしぶりを書いたものだけれど、本当に素晴らしい描写だと思う。自然の中で、この世の理を感じながら、一人静かで穏やかに暮らす様が目に浮かぶようだ。しかし、これに続く文章は以下の通りである。

 

 もし、念仏もの憂く、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独りをれば、口業(くごう)を修めつべし。必ず、禁戒を守るとしもなくとも、境界(きょうがい)なければ、何につけてか破らん。

 

 あえて現代風に書き直せば、「念仏も読経も、気分が乗らなかったらサボるよ。誰もいないし。一人だから、口業を修めるのも簡単♪ それに、ルールを破りたくても無理なんだよね。だって、ここには禁止されてるようなものは、何もないもの」といった感じだろうか。ちなみに、口業とは、いわゆる「口は災いの元」。

 直前で、浮世離れした暮らしぶりと繊細な心情を書いておきながら、急に(ダメ)人間臭いことを言い出す。宮廷での職歴もあるインテリのくせに、どことなく親近感が湧くのは、こういう一面があるせいかもしれない。

 

 そんなハイスペックな鴨長明だけど、(上記の天災人災を含めて)人生で色々とあったためか、後年は筋金入りのソロ充になっていたようだ。彼の俗世や俗人に対する考えは、冒頭の「ゆく河のながれは絶えずして~」で大体分かるけど、本文の終盤でも色々と書いている。例えば、

 

 夫(それ)、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるをさきとす。必ずしも、情(なさけ)あると、すなほなるとをば愛せず。ただ、糸竹花月(しちくかげつ)を友とせんにはしかじ。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす。さらに、はぐくみあはれむと、やすく静かなるとをば願はず。ただ、わが身を奴婢とするにはしかず。

 

 この他にも、家族や財産や牛馬のためにデカい家を作るなんてくだらない、とか、都に行くと自分のみすぼらしい恰好が恥ずかしいけど日野の庵に戻ってくれば都人の方が逆に可哀想になってくる、とか。と、思いきや自身の庵への愛着・執着を「姿は聖人にて、心は濁りに染めり」と戒めている。鴨長明は、俗世・俗人だけでなく、そこから逃れている自分自身をも客観視できる人物だったのだ。さぞかし、生き辛かっただろう。現代に転生してブログとか書いて欲しい。

 

 最初にも書いたけど、鴨長明の思想に共感して、その巧みな文章を愉しめるかどうかは、人によるとしか言えない。(そして、その数は決して多くないハズ。こんな人間ばかりだと人間社会も資本主義システムも機能しないのでw)

 実際、ちくま学芸文庫版の解説者である浅見氏も、「長明の物謂いには何か虚勢を感じたり、あまりにも自己満足的な結論にいささかついていけない読者もきっといるに違いない」「他者の視点というものを完全に拒否し、自己の論理に閉じこもろうとする姿勢」(p215)と評している。恐らく、一般的にはこうした感想になるのだろう。ただ浅見氏は、日本人と狭い住居についての考察で、「現代流行りのワンルームマンション。(略)狭いことは狭いに違いないが、居住者にとっては幸福の詰まった空間である」とか書いちゃってるので、もしかしたら鴨長明のような生き辛さを御経験されたことは少ないのかなー(^^;)と思ったり思わなかったり。まあ、東大出にワンルームマンションで貧乏生活してみろ!ってのも勿体ないか(笑)。

 

 というわけで、私は『方丈記』に強く惹かれてしまった。

 どれくらい惹かれたかというと、復元された方丈庵がある糺すの森に行きたくて、交通費を調べてしまったくらいである。平日なら、仕切りカーテン付きの夜行バスで片道5,000円くらいだったので、コミュ障の貧乏無職でも体力があればいつでも見に行けるぞ!

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