久々にブログ更新
しばらく文章を書く気力が湧かず、更新をサボっていました。
虚しい日々が続いていた。世界はこんなにも人々で溢れかえっていて、私が今ここで消滅しても、誰にも気づかれないわけで、そんなくだらない人間が文章を書いてインターネットに掲載することになんの意味があるんだろう…
というネガティブ思考に囚われてしまい、じっさい、毎日毎日労働で書くこともなかったんです。
でも、このブログは常に心の片隅にいて、たまに、
「ねえ、今月も更新しないの?」(´・ω・`)
と聞かれ続けてはや5ヶ月くらい。
ブログを更新しない間も、自分の生き方や今後についてはじっくりコトコト考えていたし、また書きたい欲も出てきたので、久々にPCを起動したんです。
そしたら、インターネットに繋がらなくなっている…
仕方がないので、今はタブレットから書いています。せっかくなので、以前から気になっていたタブレット用キーボードも買っちゃいました。PCよりも気軽に文章作成ができるので、買ってよかったです。使いにくいけど。
で、PCの方ですが。まだ起動はするけど、もう買い替えてあげます。
おつかれさま、よく頑張ったね(15歳くらい)。そろそろ引退したいよね。今まで、音が出なくなったり(スピーカーが壊れた)、画面を傾けるとたまにバグったり(どこかが接触不良)、辛かったのに酷使してごめんね。
ちなみに、ノートPCです。次はデスクトップにしようかな。
越生梅林で梅見
越生梅林で梅見をした。東武東上線の坂戸駅から、越生線に乗り換え。東武東上線はここ数年で改築された駅が多く、ここもきれいになっている。
山も多い。大高取山が一番人気らしい。
越生地元の「佐藤酒造店」さんで、越生のゆるキャラ「うめりん」と、埼玉のマスコット「コバトン」を撮影。何らかの力関係を感じさせるツーショット(笑)。まあ、うめりん可愛いしね。
今しか味わえない新米新酒を買って帰った。まだ飲んでない。楽しみ。
梅は満開だった。桜と違って儚いイメージはあまりない。梅園もたくさんの梅が咲いていて、賑々しかった。
ただ…、酒の飲み歩きが出来なかった!ご飲食はご指定の場所だけ…
なんでー!?梅を見て回りながら梅酒を飲みたかったのにー!
しょうがないんで、梅酒も買って帰った。こっちはもう飲んだけど、確かにスッキリしてて美味しかった。ただ、梅酒って砂糖を使うから、どうしてもジュースみたいになっちゃうんだよね。ちゃんと酔えるからいいけど。
梅干しと地元の牛乳を使ったうめりんアイス。加藤牧場っていうのは、日高市にある牧場です。甘じょっぱくて美味しかった。これをお土産にしたかった。
梅干しもいっぱい!写真にはないけど、小粒のも並べてあって、色んな種類から選べるようになっている。
梅の盆栽を売っている民家(?)があって、蜂がご飯を食べに来ていた。
蜂を撮影するのに夢中で肝心の盆栽を撮り忘れたけど、家の中に置いたら華やかになるんだろうなー、と妄想できる素敵な盆栽だった。
せっかく越生まで来たので、梅園から帰る途中で寄り道した。
豆腐店の「藤屋」。稲荷ずしと迷ったんだけど、どうしても豆腐で作ったというみたらしだんごが気になったので、おやつに食べた。普通のみたらし団子と同じようにモチモチしてて美味しいんだけど、団子粉よりも歯切れが良いというか、明らかに違う食感で面白かった。香りも違ったかな。
家族へのお土産は、生越産の柚子が入ったおからパウンドケーキにした。
行きは近道で車道沿いを歩いたけど、帰りはノンビリ越辺川を辿った。水はきれいで、サラサラと流れる音が心地よい。野生のカモや(多分)シラサギもいた。
越辺川を眺めながら、こっぺぱんを食べた。「和こっぺ」というお店で買ったちくわツナコーン味で、コッペパンは手作りとのこと。(多分、ソースも手作り)コッペパンってフワフワで中身の無いイメージがあったんだけど、ここのはもう少しみっちりした生地で、塩気のあるおかずと合っている。いいね。
途中の重機置き場?みたいな場所にヤギがいっぱいいた。なんで!?
痛くない?
実はこんな高い所に。さすがヤギ。
越生。地元なのに殆ど来たことがなかった。大人になってから始めた地元巡り、ハマっています。
狭山湖で富士山を見てきた
西武球場前駅~!
駅から狭山湖へ行く途中に神社があって、その前の茶屋で腹ごしらえ。醤油焼き団子を食べた。
山口観音(狭山湖はもともと山口湖と呼ばれていた)がご本尊の神社があって、お経が上げられていた。水子供養の神社でもあるらしい。
これが狭山湖だー!
これが狭山の街並みだ~!
街中なのに、山のように見晴らしがよく、海のように波の音が聞こえてくる。不思議な感覚だった。というか、この日は強風で湖が荒れてたので波の音はそのせいかも。
カモがたくさんいた。
隊列になって泳ぐカモ。波に煽られて大変そうだった。
橋を渡りきった場所からは、富士山がクッキリと見えた。いや~、きれいだった。でも、スマホの写真だと全然伝わらないね。山頂の雪までよく見えるもんだから、最後には少し凍えてきたくらい(笑)。
狭山湖を出ると、近くにメガソーラー施設があった。
なんか迷い込んだ。こういうとこに住みたい…
所沢市のゆるキャラ、トコろんのマンホール蓋。かわいいね。トコろんはヒバリと航空機と狭山茶をモチーフにしているらしい。
ちょっと迷ったけど、目的地だったトトロの森 1号地に到着。
こんな林道を通って帰った。けっこう段々があって急だった。
狭山湖の景色も、トトロの森も、ちゃんと保護されているから今の美しさがある。保護活動をしている人たちと、豊かな自然に感謝。
西武球場前駅、静かだし散歩できる場所も多いし、西武池袋線で都心にも通いやすいし、西武新宿線で川越にも出かけやすいし、良い場所だと思った。ただ、買い物できる場所がないので車がないと住めない。残念。
セミリタイアしたら、「一人で過ごす」が簡単に手に入るとこへ行きたい
おかしのまちおかで、ハリボーのマンゴー味大袋が約半額になっていた。好きな方は行ってみてください。
23日は令和版天皇誕生日ということで、労働者に戻ってから初めての祝日。週半ばに洗濯できるのが一番嬉しい(笑)。
せっかく良い天気だったので、入間川沿いに行ってみた…んだけど、川まで遠くてただの土手だった。しかも、やたらと暑かった。外で読書したかったんだけれど、日を遮るものも休憩できる場所もなく、早々に撤退した。
その途中で、ミニストップのプレミアム宇治抹茶ソフトクリームを食べた。ミニストップソフトクリームの抹茶系は初めてかな?抹茶パウダーと抹茶クリームが掛かっていて美味しかった。
いまHPを確認したら、販売終了店舗が出始めているようなので、そろそろ次に切り替わるのかな?
ところで、出勤日に昼食を食べている公園に、突然こんなものが出現した。無料で使えるワーキングスペースとのこと。
中はこんなかんじ。大きなモニターに、机と椅子。昼休憩も仕事したい人向けかな?w
まあ、新宿は飲食店で仕事するにも、どこも混んでてうるさいだろうし、こういう隔離空間で集中できるのはいいね!1時間までしか使えないみたいだけど。
家の中だと親の目があるしよその部屋の騒音も気になるので、外でゲームや読書やブログ更新したいときもあるんだけど、なかなか良い場所が無いんだよね。読書なら公園や図書館でOKだけど、機械を使った作業は漫画喫茶やホテルぐらいしか思いつかない。
一人になるのも苦労するんだよな~。どこに行っても人間ばっかり。早くセミリタイアして、首都圏から脱出したい。
一つのことに狂うほどハマる人生
友人と飲んだときに、何かに狂いたい(狂うほど好きなものが欲しい)という話になった。それ以外のことは知らないし興味がないという幸せ、と言い換えてもいいだろう。もっと分かりやすく言い換えれば、ステレオタイプ的なオタクになりたいということでもいいかな(多分)。
その友人は頭がよく、多趣味ながら全力で好きになるのだが、狂っているとか沼にハマっているのかと言うと、確かにそれとは違う。彼女曰く、一つだけでなく色んな事を愉しまないと(=飽き性にならないと)、人生の選択肢や逃げ場のようなものが無くなりそうで怖いのだと言っていた。ただ、趣味を転々とする人生が幸せかも疑問なのだと。
このときに例えとして挙げられたのが、地元で生まれて地元で育って地元の事しか知らないまま地元で死んでいく人生や、身分や階級がハッキリしているインドや昔の日本だった。現在は情報化&多文化社会なので、選択肢のない人生はあまり良い意味で語られない。例えば、地元を出れば人生の選択肢は増えるだろうが、地元に残り続けたからこその縁で仕事やパートナーが早く手に入る可能性もある。こういう人は、高齢になってから地元を出たら生きていけないかもしれない。しかし、地元にいる限りは幸せに(不幸が少ない)人生を送れる。普通に幸せに行きたいならその方が楽だし、幸せになれる可能性自体も高いんじゃないか… というような話をした。
一つの事だけに狂ったようにハマる人生、というのも同じだ。情報や選択肢を減らすことで、自分の好きなものだけを追い求める人生。ステレオタイプ的なオタクって、まさにこういう生き方だと思う。オタクに抵抗があるなら、天才と言い換えてもいい。
ただ、同じことはSNSにも言える。youtubeやtwitterで自分の好きなものだけを眺め続ける、現代風に言えば「コスパの良い」人生を送っている人は、たくさんいる。でも、彼らは狂ってもハマってもいない。その差は、自分が動くか、他人に動いてもらうかの違いなのだろう。
サカナクション山口さんが「今の若い子は”浴びる遊び”ばかりで、”探す遊び”をしていない」「情報が少ない時代、CDを3000円でジャケ買いしてハズレだったり。でも勿体ないから繰り返し聴いては、その良さが分かったり」と話してたけど、深掘りしなきゃ”没頭できる何か”は見つからないんだよね。順序が逆
— しぶ (@minimalist_sibu) February 15, 2023
このツイート(とサカナクション山口さんの言葉)が、とても分かりやすく纏まっていると思う。
ちなみに、私自身も成人してからは、コスパ重視で趣味を選んでいる。子供の頃の方が、狂っていたしオタクっぽかった。純粋さもあるのだろうが、おカネが無くて時間はたくさんあったというのが大きかったと思う。だから、いつか本格的な無職になって、おカネに制約はあるが時間は無制限という状態になれば、自然とハマれる趣味が見つかるんだろうな~と、気楽に考えている。
労働者は時間もおカネも限られるし、コスパ重視になるのは仕方ないと思う。誰もがオタクや天才になる必要はない。まあ、就職前の若者については何とも言えないけど…
5年ぶりの歯医者、初めてのChatGPT
今日は朝から、歯医者さん。収入が入るようになったので、定期的に歯を診てもらうことにしたのだ。
歯周病は30代でも3~4割の患者がいるとされる。かかってしまうと治療は難しく(現代医学では治らない?)、歯が抜けていく… 怖い。私は食事が趣味なので、余計に怖い。という理由で、歯の定期検診を決定した。
(少なくとも)5年ぶりの歯医者だったので、もう歯周病だったらどうしよう… と不安だったけど、病気は見つからなかった。よかった。
ただ、5年分の歯石は溜まっていたので、今回の検診は2回に分けてもらうことになり、今日は下の歯の歯石だけを取ってもらった。特に前歯の歯肉が腫れているらしい。歯肉の腫れは分からないけど、歯石がきれいになったのは前歯の隙間具合でよく分かる。
ということで、死ぬまで自分の歯でご飯を食べたい人は、歯医者さんで綺麗にしてもらおう!
それから、初めてChatGPTと会話できた。何度か仕事帰りに会いに行ってみたんだけど、今までは定員オーバーでお話しできなかった。
埼玉県から登りに行ける山について聞いてみたら、秩父の山々と武甲山を紹介してくれた。安全に登山できる高さは?という決まった答えが無い質問もOK。
お礼に対してもこの通り。わざとくだけた表現にしてみたんだけど、問題なく返事してくれる。いいね。そのうち、音声も付くんだろうな。
上階の騒音は、試練だと思うようになった
上の部屋の騒音に悩み続けている。小学生くらいの子供がいる家族。
一番困るのがピアノ演奏。私が実家に戻って来た当初は、窓を開け放ち、朝は7時から夜は20時近くまで、消音装置も使わず、気が向いたら(?)演奏を始めるというアリサマだった。管理人やマンションの組合に泣きついて注意してもらい、現在は窓を閉めてもらい、早朝の演奏も止まっている。でも、消音対策をする気はないようだし、夜の演奏も続いている。
あとは生活音。重いものを引きずったり落とす音、人間が飛び跳ねたり走り回る音。防音マットはしてくれてないと思う。たまに壁が震動してるので(笑)。
…という状況なんだけど、一般的にはこの家族と、私と、どっちの方が支持されるんでしょう?私が神経質なのか、向こうが無神経なのか。
騒音に悩み続ける人生
実家に戻る前から生活騒音に悩み続けてきた。当時は賃貸だったので楽器演奏はなかったが、足音やら笑い声やら室外機の轟音やら赤ちゃんの泣き叫ぶ声やら電話やら。酷いものだと、歌声やセックスの喘ぎ声なんてのもあった。家の中で、こういう人間や機械の音を聞かされる(聞いてしまう)のが、とても苦痛なのだ。
音を出す相手を憎み、自分はこんなに気遣っているのにどうして… と嘆いてばかりいた。家の外に居ても、帰宅すれば騒音が待っているという恐怖。どこに行っても、どこに住んでも、心安らかに過ごすことは永遠に出来ないのだろうか…
「自分は騒音に弱い」という事実を認めたら、少し楽になった
でも最近は、少し考えを改めるようになってきた。
まず、自分は特定の音に対して過敏で神経質である、と自覚するようにした。今までは自分の神経の方が普通だと思い込んでいたので、耳栓などにも何となく抵抗があったのだ。どうして何も悪くない自分がこんなものを…みたいな。
でも、実際に耳栓・ホワイトノイズ・イヤーマフを使ってみたら、しずか~で快適~♪な空間があっけなく手に入った。そうとわかればゲンキンなもので、いいじゃん、いいじゃん、これいいじゃん!と今ではすっかり愛用品になっている(笑)。自分は耳栓やイヤーマフを使う方が幸せになれる人間なのだと知ることで、騒音に対する憎しみもマシになった。
他人に執着し、傲慢になるから、騒音という苦しみが返ってくる
また、騒音は天からの試練なのだと考えるようにした。…と書くと怪しいけど、仏教の因果応報を基にしているのでカルトではない。
まず、どうして騒音が気になるのかを考えた。なにか、理由があるはずだと。考え続けた結果、他人への執着が原因ではないかと思い当った。全ての人間は、他人を気遣いながら生きるのが当たり前。自分は騒音を出さないよう気を付けているのだから、他の人間も同じことをして当たり前。そうしてくれない人間は理解できない、許せない、憎たらしい…という執着が、音に過敏な現在の自分を作り上げたのだろう。
できないものは、できないと諦めねばならない。静かに暮らせば幸せになれる人間ばかりじゃない。私が騒音に気をつけて生活するのは、私が勝手にやっているだけで、他人に頼まれたわけじゃない。もう少しうるさくても良いから多少の生活音で文句を言わないでくれ~、と思われている可能性すらある。
こうした事実を考えず、自分と同じように静かな生活を全ての人間が送るべきだなんて、傲慢でしかない。他人を思い通りに動かすことは(基本的には)できない。できないことを、どうすればできるのかと考え続けるのは、執着だ。執着し続けるかぎり、騒音という不幸も続く。
騒音問題に悩むことがなければ、幸せに暮らせただろうが、自分の傲慢さにも気がつかなかったかもしれない。たまたま静かな環境に恵まれて己の欠点に向き合わない人生と、うるさくて苦しくても自らの不幸の原因に向き合う人生。私は後者の方が望ましいと思ったので、騒音問題に関しても「これは乗り越えるべき試練なのだ」と考えられるようになった。完全に普通の人と同じように、というのは難しいだろうけど、生活音に恐怖や苛立ちを感じることなく対処できるようになったときには、私の人生にも何か変化があるのだろう。
もっとも、試練とでも考えないとやってらんねー!という気持ちは正直ある(笑)
瞑想で騒音に強く慣れる?
耳栓などで物理的に音を遮断するのも快適だけど、根本的な解決にはならない。物理的に遮断できないほどの騒音や、耳栓も不愉快なほど鬱っぽくなったときのことを考えると、騒音に弱い体質の方をどうにかしたい。
瞑想が効くと知って挑戦し続けているんだけど、上手くいかない。心を空っぽにしたくても、どうしても頭が何かを考えてしまう。(騒音への恐怖や苛立ちも、そのせいで悪化した)寝る前や通勤電車の中とかで、チマチマと「空」状態になっている。うまくいくと頭の中がポワーンとして心が晴れ晴れとするんだけど、すぐ戻っちゃうんだよなあ。がんばろ。