セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

娯楽が無い退屈な社会も、娯楽が多すぎる生活も、人間には毒なのかも

gigazine.net

カナダの大学で、認知神経科学の専門家による実験。

娯楽の少ない環境にある方が人間は退屈を感じない、という研究結果が出たとのこと。

娯楽を認知できる状態でそれを享受しないと、「もしかすると自分はもっとワクワクした時間を過ごせたかもしれない」という不安(=機会損失の心理)が働くため。最初から娯楽が無ければ、その過程が生じないため退屈を感じることもないそうだ。

この研究結果を受け、アメリカのある教授は

Struk氏の実験は、半ば隔離された状態で生活している私たちにはとりわけ興味深いものです。有効な選択肢の存在と退屈とが関係しているということは、娯楽施設やサービスが閉鎖されて選択肢が少ない場合は、屋外に魅力的な選択肢がたくさんある場合よりも退屈を感じずに済むことを意味しています。

と考察しており、自身もコロナで2か月の隔離生活を送っているが退屈を感じることは少なく、家族と一緒に趣味や勉学で日々を楽しく過ごしているとのこと。

 

歴史の勉強をしていると、「昔の人は本もゲームも無く、貧乏人は一日中働きづめで、生きていて楽しかったのかな」とよく感じる。この研究結果によると、そもそも昔の人は娯楽の存在を知らないから、娯楽の無い生活に疑問を抱くことも無かった、ということになる。せいぜい、ごく一部の金持ちの生活をその他大勢の平民が羨む、といったところだろう。月並みだけど、酒池肉林の元ネタとなった紂王よりも我々の生活の方が遥かに贅沢だが、だからといって自分が皇帝のように何でも持っていると考えられる現代人は少ないだろう。

何も持たないからこそ、余計な雑念を抱かずに日々を過ごせる、という考えはシンプルライフやミニマリストにも通じるものがある。実際にモノを減らしてみると、家の中にある娯楽が少なくても不自由なく過ごせることは実感できる。

家にいると集中できない、気分が滅入る、つまらない、という人は断捨離してみると解決するかもしれない。その不安定さが「もしかすると自分はもっとワクワクした時間を過ごせたかもしれない」という機会損失の心理が理由なのだとしたら。

 

 

ただ、だからといってコロナのような自粛期間中に何でもかんでも娯楽を閉鎖するのは考え物だ。コロナの自粛中も楽しく過ごせたよ!と仰っている記事中の教授はアメリカ人だけれど、そのアメリカではコロナ自粛による自殺や薬物乱用の増加が懸念されていたりする。

wataridori-project.hateblo.jp

この教授は仲良く過ごせる家族があり、自粛中も不自由なく過ごせる収入と家と貯金があるからこそ、コロナの自粛中も有意義に過ごせたのだろう。それらが無い人間は娯楽が無くなったら、一体どうすれば良いのか。少なくとも、パン作りやガーデニングを楽しむ余裕のある人は多くないだろう。娯楽を取っ払うなら、退屈を処理する方法を代わりに提供しないと、ちょっと危ないのかもしれない。

 

wataridori-project.hateblo.jp

アメリカと比べると規制が緩かった日本でも、学校や娯楽施設に行けなくなった未成年カップルが生殖行動に走ったりしている。少子化だし育てられるなら構わないと思うけど、さすがに中高生が育児しながら勉強したり稼いだりするのは厳しいんじゃないだろうか… 妊娠の相談が増えているということは、本人たちも子作りまでするつもりは無かったんだろうし。

人間は極限まで退屈するとセックスしたがるとは聞いていたが、一理あるようだ。というわけで、やっぱり娯楽施設のシャットアウトは危ないのかもしれない。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村