セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

「100日後に死ぬワニ」を読んだけど、「死」ではなくマスコミについて考えている

「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画が急に話題になっている、ことを2日前に知った。(ツイッターもテレビもやってないので、情報収集が遅いんです)昨日完結したので、1日目から読み直してみた。面白かった。

まず、完結する前からメディアミックス展開が決まっていたようで、書籍は4月8日に発売されるらしい。へー、本の発売ってそんなに早くできるもんなんだ、すごいなー、と思っていたけど、同時に映画化やらグッズ化やらも決定していたので、ワニくんが死ぬ前から書籍化の話は進められていたことになる。98日目くらいから急にグーグル検索に挙がってきたのでマスコミが絡んでいるんだろうなーとは思っていたけど、まさか始まりから全てマスコミの仕掛けだったとは。私はてっきり、ツイッターでじわじわ人気が出ている「100日後に死ぬワニ」にマスコミが目をつけて、作者さんにコンタクトをとって、結末は置いといてとりあえず書籍化!みたいな無茶なことをしているのかと思っていた。

で、「100日後に死ぬワニ」がマスコミによるメディア戦略だとすると、複数の大企業が「人の死」を娯楽として認識していることになる。娯楽に「人の死」を利用することは珍しくないけれど、「○○が死ぬことで主人公が成長する」「○○の死によって隠された問題が提起される」といった使われ方が一般的だと思っていた。でも、「100日後に死ぬワニ」は、何の変哲もない日常を送りつつ死へと近づいていくワニ君を偲ぶと同時に、彼の死に様を予想して楽しむ漫画だ。「人の死」のその瞬間を楽しむ娯楽だ。もちろん、メディアミックスの話が出ているということは、ワニ君の死のその後や伏線(モロに怪しいのはネズミ君、次にひよこ)を回収する形で、往来の娯楽に近い形へと持って行くのだろう。ただ、消費を促す導火線としてマスコミが「人の死」を娯楽として提供したことは、画期的だと思った。しかも、コロナによって続々と人の命が奪われている、この時期にである。「100日後に死ぬワニ」の展開は、気になる。マスコミが「人の死」をどう扱いたいのか、気になる。あと、ネズミ君かわいい。

もう一つ、マスコミ企業やってくれたなーと感じたこと。それはSNSによる個人の作品に対する認識を変えてくれちゃったことだ。「100日後に死ぬワニ」の発信は、個人のツイッターアカウントで行われていた。個人とはいってもプロなので、作品コンテストに応募する段階のド個人とは違うかもしれないけど、少なくとも企業による発信というかたちではなかった。だからこそ、100日目の「書籍化決定」「映画化決定」「グッズ販売決定」に賛否両論が起こっている。個人の作品として見ていた漫画が実際には企業からの発信であり、自発的に楽しんでいたハズなのに企業の掌で転がされていことを不愉快に感じた消費者がいるからだ。で、一度こういう前例をどかーんと作ってしまうと、今日この瞬間からSNSで大勢に見てもらいたいと個人が発信した作品に対して、それが本当に一から十まで個人で仕上げた作品であっても、それを消費する人間からは存在しない企業の影が見えてしまうことになる。個人が個人として認められなくなる。個人の集まりであったはずのSNSが、個人の集まりではないという不信感を募らせ、個人同士が疑心暗鬼になり、最終的にはそれが当たり前となる。もしもマスコミがSNS破壊の一環として「100日後に死ぬワニ」企画をスタートさせたんだとしたら、それはそれでドキュメンタリー化してくれると嬉しい。…ないかな。

ただ、SNS=個人という概念の破壊は難しいと思う。去年、「アナと雪の女王2」の公開に際して、ディズニーが漫画家を使ってプロモーションを仕掛けた事件があった。あれも、企業の広告の宣伝であることを隠し、個人の作品として漫画家を利用したことで批判されたが、それから1年も経っていないのに「100日後に死ぬワニ」は個人の作品として認識されて広まって同じような経緯を辿りそうになっている。ま、そういうことです。私も分かんなかったし。

というわけで、「100日後に死ぬワニ」は面白いし、これからの展開も楽しみだし、マスコミは凄いと思う。日本経済も冷え切っている中で、久々に消費に関する明るいニュースだ。

最後に、人ではないけど「死」を娯楽とする作品に興味がある方は『自殺うさぎの本』をお勧めします。アンディー・ライリーさんという方の絵本(?)で、全3巻。ブラックユーモアが苦手でなければ是非。紹介したら久々に読みたくなってきた。

 

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