セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

ドラゴンクエストビルダーズ2の感想文:壊す楽しみ、破壊の必要性

ゲームの住人が、自分の作った街で自分の思い通りに生活してくれる。そして、その世界は自由に破壊することが出来る。一見、相反する二つの要素を取り上げたのが、『ドラゴンクエストビルダーズ2』というゲームだ。

前作の『ドラゴンクエストビルダーズ』にもハマって、1か月ほど夢中で遊ばせてもらった。前作も今作もコンセプトは一緒で、「主人公は勇者ではなくビルダー(=戦闘は苦手)」「地形、建物、オブジェのほぼ全てを自由に組み立てたり、壊すことができる」の2点。分かりやすく言うなら、ストーリーがあって初心者にも色々と説明してくれる親切なマイクラ(のドラクエ版)。ドラクエシリーズ、特にDQⅠが好きな人は、勇者がりゅうおうの提案に「はい」と答えたifストーリーの1から始めるのがオススメ。特にこだわりがなければ、いきなり2から始めても問題ないし、色々と改善されているので快適に遊べる。

画像1

『ドラゴンクエストビルダーズ2』(以下、本作)のテーマは、ストーリー終盤の仲間となるメタルスライムのこの一言に集約されている。「物作りと破壊は ふたつで ひとつ」。これはそのまま、ビルダーである主人公と、ストーリー終盤を除いて仲間となり戦闘でも頼りになる(=破壊が得意な)シドーのことであり、本作に於ける人間とモンスターの関係性でもある。

モノを創造するのが得意な人間と、破壊が得意なモンスターは、一見相容れない存在同士であり、歴代ドラクエシリーズでも敵対関係にあった。しかし本作では、(一部の)モンスターが人間の物作りを禁じた世界という舞台ではあるものの、人間とモンスターの種族の壁が低くなるような描写を(恐らく)意図的に多用している。人間側を理解しようと自ら人間の街に移り住む、或いはもともと味方だった、或いは初対面のときから友好的、といったモンスターたち。相手がモンスターであっても素直に尊敬して師事する農民、人間に協力してくれたモンスターを街のシンボルに選ぶバニー&あらくれたち。そして終盤では、人間である主人公がモンスターの世界でモンスターと共に暮らすシチュエーションが用意されている。DQMシリーズとは異なり、人間とモンスターが対等かつ近しい存在として描かれているのが本作の特徴だ。

これを踏まえたうえで、仲間であるシドーについて。彼は序盤から「壊すの楽しい」「死ぬからなんなの?」みたいな発言で匂わせているが、人間ではなくモンスターに近い存在だ。ただ、ストーリーが進むにつれて人間に友好的なモンスターの描写が増えていくことに反比例するかのように、シドーは人間たちから距離を置いてしまう。そこらへんのやり取りがまことに人間臭いんである。

画像4

主人公が作った牢屋に投獄されるシドー。これがきっかけでシドーは主人公の元から離れてしまう。このあたりの勘違いとか陰謀とかは後に解消されるのだが、

画像5

解決はされないまま、ストーリーが進んでいく。シドーは「オマエとは絶交だ」と言い放ち、絶対に主人公の目を見てくれなくなるのだ。実際に遊んでいると分かるが、このシーンの少し前からシドーは精神的にマイっており、自分と正体不明の声に対する恐怖、破壊衝動へのフラストレーション、人間と共存することへの不安、等で悩んでいた。そこへ最も信頼していた主人公から牢屋送りという裏切りに遭った(と思い込んだ)ことで、完全に居場所を無くしてしまう。モンスターに近い存在ならここで爆発して大暴れしてもおかしくないのだが、この時点でシドーはまだ人間側にいる。その理由は、主人公や人間たちへの信頼、愛情を捨てきれず一緒に暮らしていきたいと心の底では願っているから(ということが、さらにストーリーを続けるとわかる)。

で、これ人間でも普通にありますよね?という。いわゆる「よくある話」。その使い古された葛藤を、あえて最も長く行動を共にするモンスターにもたせることで、人間とモンスターが対等であり近しい存在であることが強調されている。実際、離脱近くまでストーリーを進める頃はシドーに愛着がわくので、目を合わせてくれないという些細な行動でもプレイヤーはかなりショックだと思う。(そして離脱されることで戦力面でも大打撃という…)

画像7

物作りは良い面ばかりではないし、人間が破壊側に回ることだってある。

画像8

画像9

破壊は悪い面ばかりではないし、モンスターが破壊することで生み出される何かがある。

どちらが欠けても、世界は成り立たなくなる。それを、人間とモンスターの共存、そして物作りと破壊の能力を持つビルダーとビルダーが必要とされるきっかけとなった存在との絆を通して、語っているのが本作なのである。

 

 

このゲームのウリは、自分だけのオリジナリティ溢れるドラゴンクエストの世界を創れることだ。公式の掲示板やブログ、ツイッターなどで「一体、何時間かかったんだ」と感嘆させられる、素晴らしい建築物や街並みや風景をタップリと見ることができる。

だが、私がこのゲームで一番楽しかったのは、既にある建物や風景を壊すことだった。

画像10

川の傍にある畑。(この川と畑も自分で作ったもの)目の前の断崖絶壁を壊すと… 

画像11

満点の星空を拝める風景ができあがる。ただ「破壊する」だけでも、全く新しい景色を「創造」することができる。これが、ドラクエビルダーズシリーズならではの面白いところであり、今までにありそうで無かった着眼点だと思う。(私が知らないだけかもしれないが)

画像6

物語中盤には、家宝の女神像を破壊したことで、モノへの執着心に気づく人間が登場する。台詞にある「ただの石」というのが女神像のことだ。この人間は囚人で、モンスターの命令で無理やり破壊させられたので、これがこの人の本心かどうかは微妙なところ。しかし、「女神像=ただの石」という価値転換は今の時代に必要な考え方であると、私は感じている。

現代人は、主に経済活動のため大量のモノを「創造」している。創られたモノたちは、誰かに所有されるため何らかの価値を付けられる。希少だったり、高価だったり、例えば女神像のように神性などの特別なアドバンテージがあるほど、モノの価値は高まり、所有者と創造した人間の両方に利益をもたらす。それ自体は素晴らしいことだ。

画像7

しかし、そのモノたちが(ドラクエビルダーズ2の世界観でいう)「絶望」の始まりになっているのが、現代社会の特徴だ。創る側は利益をもたらすモノを創り続けることに「執着」し、所有者は利益の塊と化したモノを所有し続けることに「執着」する。それが当たり前になると、モノ創りを止めること、モノを手放すことに「怖れ」が生じる。「怖れ」が現実になると(倒産や失業でモノ創りができなくなる、壊したり盗まれたりでモノを失う、etc)、そのきっかけに対する「憎しみ」が生まれる。モノが溢れているのに、その利益を享受できないことに「絶望」する人間も現れるだろう。「絶望」したくないがために、現代人は創り続け、所有し続け、利益を増やすためモノにはどんどん価値が付けられる。

ゲーム中の言葉を使ったので説明が冗長になってしまったが、上記画面にあるモンばあのセリフは、要するに現実でいう資本主義社会の負の側面について語っている。そして、モノを絶対視する資本主義的価値観に疑問をもつ人間が増えたことで、メルカリが台頭し、断捨離やサブスクリプションサービスが流行っていることは、皆さんもよく御存じのことだと思う。

しかし、ビルダーズ2の囚人と現実では違う点がある。囚人は女神像が「ただの石」という新たな価値観を得ることで、本人の心は晴れたかもしれないが、女神像と像の価値は「破壊」されたままで終わっている。ところが、現実社会で起こっているモノの非所有や共有という新たな価値観は、単にモノの所有という古い価値観を「破壊」しただけではない。一つのモノを長く大切に使うことの重要性、環境への配慮、困っている人への喜捨、自分が本当に必要とするモノへの欲求など、別の価値観を「創造」するきっかけになっている。

現実社会にモンスターは存在しないが、モノとの付き合い方は確実に大きな転換点を迎えている。「ドラゴンクエストビルダーズ2」は、魅力的なキャラクターたちと、「創造」「破壊」の楽しさを通して、モノに対する新鮮な価値観を提供してくれるゲームである。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村