セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

勉強と研究の違い

秘書検定の勉強を始めた。手紙や文書の書き方、話し言葉、会社用語などの知識を見られるようで、2級に関しては暗記だけで合格できるようだ。

仕事のための勉強なのでヤル気満々とはいかないけれど、実生活でも役に立つ知識が多いので苦にならず勉強できている。教科書を読んで、書かれていることを暗記して、それをテストで吐き出して… という流れは、学生時代を思い出す。

 

学生の頃は、勉強が嫌いとまではいかないけれど、好きでもなかった。嫌い寄りの普通ってかんじか。ただ、大学時代に興味のある分野を調べることは好きで、それは現在でも続いている。

何気なく「大学で勉強する」というけれど、少なくとも私が在籍していた文学部では、「勉強する」よりも「研究(の真似事を)する」という表現が当てはまった。講義に使う資料は存在しており、それを基にして教授が授業を進めるのだけれど、高校までのように体系化された知識が用意されているわけではなく、教授の頭の中に存在するそれから生徒自身の力でその一部を学び取らねばならなかった。期末の課題は、その学びをレポートにしてまとめるかたちだ。もちろん、外国語科目など体系化された資料(つまり教科書)を使う講義もあったが。

「日本の文系大学生は勉強しない」と言われている理由は、ここにあると思う。高校までは、誰かが既に体系化した知識を吸収する「勉強」が学生の義務だった。ところが、大学では自分で知識を体系化する「研究」を要求される。求められる能力が真逆なのだ。両方に適正があれば良いが、もしも片方にしか適性が無いと、大学に通う意味が無かったり、逆に大学へ進学する前に脱落してしまったりするのだろう。

ちなみに、私は理系の講義を受けたことが無いけれど、話を聞く限りだと体系化された知識がちゃんと存在していたようなので、大学の学士レベルの理系はまだ「勉強」の域だという印象がある。高校とは難易度が桁違いだろうけど。そこまで勉強しないと研究が出来ないなんて、理系の人は大変だなーと思う。

 

よく「勉強はちっともやらないのに、ゲームだと集中力バツグンの困った我が子」という嘆きを聞くけれど、これもゲームを「勉強」「研究」それぞれの対象として考えると納得しやすい。

例えば、あるタイトルのゲームで遊ぶのが好きなプレイヤーの全てが、同じゲームの攻略本の内容を喜んで丸暗記するだろうか? ゲームを嗜む人なら分かると思うけど、色んなパターンが考えられる。内容を隅から隅まで覚える人、攻略本は読むけど開発秘話や1週目の取り逃がしをチェックするだけの人、暗記はしないけど攻略本から得た知識を基に独自のプレイスタイルを考案する人。1番目が「勉強」、3番目が「研究」に近く、遊び方も異なることが想像できると思う。「勉強はちっともやらないのに、ゲームだと集中力バツグンの困った我が子」は、自分でゲームのアイテムやイベントを発見することが好きだったり、攻略本には載ってないようなマイルールで遊ぶ方が楽しかったりしないだろうか?

学校で使う教科書には、ゲームでいう攻略法が全て書かれている。その攻略法を全て暗記し、その通りにプレイするのが「勉強」だ。逆に「研究」とは、自分なりの方法でプレイしてゲームの知識を拾い集め、体系化して教科書をつくることだ。同じ教科書でも、前者は他者によって体系化されたものだが一定水準以上の質が保障されており、後者は自分オリジナルのもので使いやすいかもしれないが質が低い可能性も十分にある、という違いがある。

 

「勉強」をやらないと独りよがりの狭い視野でしか物事を考えられないし、「研究」ができないと個性のない人生になる。無理して広い視野を持ったりオリジナリティを出すのが偉い!ということもないけれど、人によっては「勉強」か「研究」のどちらかに偏った人生を送っていることもあるのだろう。

ま、どうせなら両方とも出来たほうが得だけどね。

 

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