労働内容が聞いていたのと違っていた派遣社員の愚痴
今、酔っている。
どれくらい酔っているかというと、
日本酒をしこたま飲んでそれなりにつまみも食べている時点で、さらにこれだけの炭水化物を摂取しようとしているぐらいに酔っている。ちなみに、時刻は23時50分。飲みに行っていた店はいきつけの所で営業時間は20時まで。え?3時間もオーバーしている?んー… 気のせいじゃない?(笑)
酔いが冷めないうちに書いておく。
もう酒は買ってないので、酔いが冷めたらテンションが保てなくなる。(笑)
世の中には、いろんな生き方がある。
その一端を、今日、聞くことが出来た。
30歳になって、今まで勤めていた会社を辞めて、一人旅をしたという話。
島を巡って、ウミガメの産卵のボランティアをするために会社を辞めた人と宿泊したり、北海道を母親と一緒に自転車巡りした人の話。
ハワイに移住して、陶器の買い付けをしながら(?)、過ごしやすい秋の時期だけ日本に戻ってくる人の話。
現代の資本主義に疑問を抱きつつ、そこら辺の資本主義的労働者よりよほど優秀な反資本主義思想の労働者の体験談。
持家を所有するなら、正社員になってからが良いという助言。
まあ、そんな色んな価値観をもった人が集うお店が私の行きつけでございますよ。
どの価値観も、私は否定しない。共感できるものは限られてしまうけれども。
無職になってから、今までの生き方、これからの生き方について、本当に考えた。
今も考えている。
そして、今は労働を再開しているけれど、この大不況のなか幸運にも拾えた派遣社員の労働現場にもかかわらず、それを手放そうかと考えている。ちなみに理由は、事前に聞いていた内容と労働条件が違うからだ。派遣あるある。
もちろん、「そんな考えは甘い!それだから正社員になれないんだ!自立できないんだ!」という人が大多数だと思う。そして、その考えは資本主義的に正しい。
でも、自分の能力的に最適でない労働現場を断って、最適な労働現場を要求することは、そんなに悪いことなのだろうか?恐らく、悪いことなんだろう。「逃げてばっかりじゃ、駄目だ!」これも、大多数の意見だと思う。そして、その考えは資本主義的に正しい。
だけど、私は正社員や労働からは逃げたい。逃げてもいいと思っている。何故なら、逃げないと生きていけない、資本主義に適応できない人間もいるからだ。そして、私がその人間に当てはまるからだ。
資本主義的に正しい主張をしている人間は、資本主義に適応している人間だ。だから、資本主義に適応できない人間とは異なる意見になっても、仕方がないのだ。そして、資本主義に適応できる人間の方が圧倒的に数が多く、資本主義は民主主義の社会でもある。だから、資本主義に適応できない人間の意見は少数派として無視されてしまう。そして、それは資本主義的に正しいことなのだ。
ということで、せっかく新しい職場を得たにもかかわらず、その職場を辞めることばかり考えている私は資本主義的に正しくない人間ということになるのだが、だからといって、どうすればいいというのだろう?
働き続けることは難しい。でも、働かなければ資本主義社会に弾劾されてしまう。かといって、30歳になってから「資本主義社会に混ぜてください(=正社員などの労働者として扱ってください)」と頭を垂れても、門前払いされる。でも、資本主義に貢献しないと(=労働しないと)弾劾される… どうしろっちゅうねん!!!
もちろん、30歳にもなれば分かる。資本主義社会が資本主義に適応できない人間に求めること。それは、独立も離脱もできない程度の資本力をもつ労働者になる、ということぐらいは。つまり、税金を納めるために資本を作り出す労働力となる人間だ。税金から逃れられるほどの貧困層にもならず、資本家の労働力としての立場を離れて自立することもない。それが、資本主義社会が資本主義に適応できない人間に求める、理想の人間像だ。
私は、その立場から逃げ出したい。
独立とか、稼げるとか、外こもりとか、ソーシャルディスタンスとか、格好の良いことを言うつもりは無い。
ただ、逃げ出したい。
もう、労働のために、資本のために、自分の人生を使いたくない。
この考えが資本主義的に間違っているということは、承知している。
でも、嫌なものは嫌だ。働きたくない。好きなことをしたい。人間らしく生きたい。労働するのは構わないけど、労働の為に人生を犠牲にしたくはない。
資本主義社会に適応できている人たちが、心底羨ましい。
リタイアや独立を促す人の中には、資本主義社会に適応できている人間を「社畜」と言って蔑む人もいるけれど、私はそんな考えは持っていない。
「社畜」と呼ばれる人々がいるからこそ、資本主義は理想の形として成り立っている。その恩恵を、誰もが何らかのかたちで享受している。だから、資本主義社会の利益を僅かでも享受している人間は、「社畜」と呼ばれる立場にいる人間に感謝こそすれ、蔑むなどお門違いも甚だしい。どうしてもそうしたいなら、カネを全て捨てて資本主義社会の恩恵を完全に断ち切ってからにして欲しいものだ。私は、「独立も離脱もできない程度の資本力をもつ労働者」として資本主義社会に受け入れられている彼らを尊敬しているし、心底羨ましいと思っている。
だって、そういう人がいなくなったら、私がセミリタイアすることもできないのだから。