セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

創作

最近、なかなかブログを書けない。

PC事務の労働をやっているせいで目が疲れているというのもあるが、創作欲が湧かない。書きたいことが無い。

会社から帰ってシャワーして夕飯を食べたら、消費欲はあるのに創作欲が出てこない。労働と資本主義は相性抜群だが、創作とは相性最悪だ。

今週はさらに最悪なことに、土曜日の豪雨のせいで知り合いと飲むことも出来なかった。いや、雨は19時には止んでいたから、いつもなら飲めたのだ。

いつもなら。

今は緊急事態宣言。店は20時まで。1時間も飲めない。仕方がないので、近所のOKストアで酒を買ってきて一人で飲んだ。でも全然飲めなかった。ストレス解消の酒を一人で飲んでもつまらないからだ。殆ど残ってしまった。それが土曜日の話。

そして、今日は日曜日。昨日とは打って変わっての青空。しかし、一人だ。一人でいるのも好きなんだけど、私は今は誰かと一緒にいたいのだ。でも一人だ。日曜日に誘える友人は、緊急事態宣言中だ。

 

私はコロナを甘く見ていた。緊急事態宣言。これが、ここまで面倒くさいシロモノになるとは。

世間は柔軟だった。人同士のつながりがコロナで無くなることにいち早く気が付き、即座にリモートによる繋がりを発達させ、さっさとそれに馴染んだ。画面越しの交流で、世間はコロナによる孤独という脅威に対処した。

世間。世間はなんて優秀なんだろう。あれだけ生身の触れ合いを強要しておきながら、必要とあれば画面越しの触れ合いを受容し、当たり前とし、あまつさえ生身の触れ合いを禁忌とする。価値観を柔軟に使い分ける。

私はそこまで優秀じゃない。価値観をそんな簡単に変えることはできない。生身の触れ合いが当たり前だったときには、求められる基準を満たすほど他者とコミュニケートすることが出来なかった。逆に生身の触れ合いが禁忌とされると、許容されている以上のコミュニケートを必要としている。そう書くと私が変化しているように感じられるが、私が変わったのではなく、世間が新しい常識に合わせて変わっただけで、私は何も変わっていない。

 

他者とコミュニケートできないなら、自分とコミュニケートするしかない。

日曜日。私は独りで昼から飲んでいる。確か14時くらいから飲み始めて、19時になった今も飲んでいるし、多分寝るまで飲んでいると思う。

自分とのコミュニケート。人によって意味は変わるだろうが、私の場合は内省や創作の意味合いが強い。とにかく創作したり、創作物の感想を書きたくなる。労働で失われたそれらが、アルコールで蘇る。私は中島らもの作品やエッセイが大好きなのだが、それは彼を尊敬しているからだ。彼は酒だけではなくクスリの力も借りて、創作した。頭おかしい。

まったくコロナには困らせられるものだが、それでも月曜日から労働が始まることは変わらない。コロナで世界は一変したようで、実際には何も変わっていないんじゃないだろうか。ただ不便になっただけで。

明日から、私はまた創作できなくなる。労働して消費するだけの日々。世間が私に求めていること。

 

ああ、世間がうっとうしいほど近くて、死んでも手が届かないほどに遠い。

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