セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

私にとっての『ポケットモンスター』は、現実にない「自由」を描く作品

 アニメ版ポケットモンスターの主人公サトシが、とうとう降板になる。

 年明けの1月13日から「サトシとピカチュウの物語、最終章」11話を放送してフィニッシュのようだ。

 

サトシとピカチュウの物語をずっと観ていました

 ポケモンのアニメは、1997年から放送されている。私が小学校低学年の頃からだ。最初に観たのは数話たってからだったと思うが、リアルタイムでほぼずーっと追い続けているアニメだ。(中学か高校の頃に数か月ほど見てなかったが、気が付いたらまた見始めていた)だから、約25年間もサトシとピカチュウの冒険を追い続けてきたことになる。

 それが、終わる。

 サトシ降板の報を受けたとき、言葉が出なかった。まさに、心に穴が開いたような喪失感というか、本当にしばらく呆然とした。

 これは、自分でも本当に驚いた。サトシとピカチュウの冒険が自分の一部になっていたことに、初めて気が付いた。

 実はブラック・ホワイトの頃にもサトシ降板のウワサが流れたことがあって、その頃は「まー、サトシも長いし、そろそろ主人公交代でも良いよねー」としか思わなかった。それが2010年の出来事で、私は大学生だった。それから2年後に就職活動に失敗し、長い長い非正規労働生活が始まり、貧乏な労働者生活を送りながら、サトシとピカチュウの冒険を追い続けた。25年間も続いているのと、日々の生活が忙しいこともあって、子供のころほど熱心に見ることはなく一話一話の内容もあまり記憶に残らなくなってきたが、それでも見続けていた。

 それが、終わるのだ。2010年にはサトシ降板と聞いても何とも思わなかったのに、今はブログ書きながら涙ぐんでいるくらいだ(笑)。労働者時代の12年間のサトシとピカチュウの存在は、私にとってそれだけ大きかったのだ。

 

私にとっての『ポケットモンスター』は、現実にない「自由」を描く作品 

 実をいうと、私はサトシというキャラクター自体が物凄く好きというわけではなく、どちらかというと、『ポケットモンスター』という作品の象徴的な存在として捉えている。

 『ポケットモンスター』に抱くイメージは人それぞれだと思うが、私にとっては、ポケモンという生き物が作りだした自由の世界だ。世界そのものは現実と同じように存在するが、そこにポケモンという存在が加わることで、(現実の)人間だけの歴史にはない自由の概念が発展し、あの世界観が誕生したのだと考えている。

 どの作品か忘れたけど、ポケモンのゲームには”ポケモンがいれば、どこにでも行ける”という趣旨のセリフが登場する。ポケモンのゲームは、子供がポケモンと一緒に世界中を冒険して回るもので、それをアニメで25年間続けていたのがサトシとピカチュウというわけである。

 現実の世界では、子供が世界中を旅して回るなんて不可能だが、ポケモンの世界ではポケモンの存在が、現実の不可能を可能とした。現実で学校や労働という人工的な空間で生活し、人間という生き物集団にも上手く馴染めず、自分が生きている世界の色んな姿を歩いて見て回りたいと願い続けてきた私にとって、人間以外の仲間と一緒に世界中を自由に見て回れるポケモンの世界は、まさに理想の世界だ。もちろん、ゲームが面白いとか、ポケモンが可愛いとか、そういう理由もあるけど、私が『ポケットモンスター』という作品のファンであり続ける一番の理由は、理想の世界に理想のかたちで連れて行ってくれるからだろう。

 

 ポケモンは自由の世界と書いたが、ポケモンの良い所は、色んな自由を見れるとこでもある。

 テレビ放送されているサトシとピカチュウの冒険しか見ていないと分かりづらいんだけど、ポケモンの世界は誰もが街の外を駆け巡ったり、ポケモン一筋というわけではない。ゲームには現実とあまり変わらない(現実のペットのようにポケモンと暮らしているが、飼っているというよりは共同生活に近い)生活を送っているNPCがたくさんいるし、アニメだと例えば2018年に放映された『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』にポケモンに興味のない高校生が登場するように、ポケモントレーナー以外の人々もたくさんいて普通に生活している。(ただ、ポケモンに興味が無いキャラクターはゲーム・アニメ共に殆ど登場しない)

 ゲーム中でポケモンバトルをしかけてくる人も様々で、ジムやリーグに勤めるプロ級、バトルで生活している(?)ようなガチ勢…は少数派で、多くは少年だったり学生だったり、散歩中のおじさんおばさんもいれば、現実と同じように働くビジネスマンとかミュージシャンもいる。つまり、ポケモンによって作りだされたともいえる世界でありながら、ポケモンを絶対的な価値対象としていないので、例えばポケモンバトルが弱い者は強い者に服従しなければならないというような一部の存在によって強制的に作りだされた価値観がなく(少なく)、人間とポケモンが自然なかたちで自分の価値観を自由に育んで生活できる世界になっているのである。まあ、ロケット団みたいなのもいるけど。

 最近のポケモンのゲームは特にそこら辺を意識しているようで、ジムリーダーもチャンピオンもポケモントレーナーも老若男女いろんなキャラクターが登場するし、色んな職業のNPCポケモンが街中で生活している。

 

 

ポケモンは実在しないが、代わりになりうるものは身近にある

 現実にポケモンという生き物はいない。だが、私はおカネがポケモンに近い存在になることも可能だと考えている。もちろん、あっちは生き物でこっちは物質なので完全な代わりとはいかないが、老若男女すべての人々に自由を与える力はあると思う。一番わかりやすいのが女性の地位向上で、資本主義が未発達な時代の女性は多くが旦那に養ってもらい周りの人間に服従しなければ生きていけなかったが、それが(昔に比べてある程度は)自分の価値観をもち自由な人生を送れるようになったのは、間違いなく資本主義システムでおカネを稼げるようになったおかげだ。

 残念ながら現実の世界では、資本主義が一部の人間に支配され、多くの人々は資本家に自由を引き渡しておカネを恵んでもらいながら生活している。あのポケモンの世界とは全く異なる自由の歴史が、そこにはある。

 しかし、何年先になるのか、そもそも実現するのかも分からないが、資本主義が一部の人間の支配から解放され、おカネがもっと自由に使われるようになれば、現実の世界は全く違う歴史を見せるだろう。その世界では、資本主義(資本主義じゃなくてもいいけど)は絶対的なシステムではなく、おカネが人々を支配するのではなく、おカネと人々が共生している

 そして、子供たちは、いや、年齢は関係なく、本人が望みさえすれば、世界中を自由に見て回り、自分だけの人生を探すことだって出来ちゃうだろう。25年間続いたポケモンアニメで、サトシとピカチュウがそうしていたように。

 

 

ということで、サトシ(松本梨香さん)とピカチュウ大谷育江さん)、25年間お疲れ様でした、ありがとうございました

 パルデア地方は新主人公!!!

 楽しみー!!!!!!!!!!に待ってますっ!

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村