セミリタイアするまで非正規

正社員になれないことが分かった三十代。労働者のままでは死にかねないので、非正規のままセミリタイアを目指している、色んな意味で駄目なヤツ。

派遣の仕事はなんとか続けられそう

派遣社員になってから、2週間が過ぎた。

最初は聞いていた仕事内容と違っていて、長く続けられる気がせず、どうなることかと思ったけれど、なんとか慣れてきた。なんとか続けられそう。

どうやら、一日中電話をかけ続ける日と、ほとんど電話仕事の無い日があるらしく、今は繁忙期なので特に電話業務が多いだけなんだそう。実際、今週のうち電話業務が多かったのは月曜日だけで、火曜日以降は一日に10件かけたかどうか、といったかんじ。電話をかけ続ける日はキツいけど、それ以外の日は自分のペースで仕事が出来る。

というわけで、派遣期間が満了するか、途中で切られるか分からないが、今の職場を続けられるだけ続けようと思う。

 

私は、職場に小さなノートを持って行っており、たまに作業するフリをしてノートにセミリタイア計画をメモしている。労働は嫌だけれど、セミリタイアに近づいていることが実感できると、苦痛も減る。給料の計算をして毎月いくら貯金するかを考えたり、どこにどんな家を買うか考えたり、今の契約が切れたときに何をして遊ぼうか考えたり… 考えることはいくらでもある。セミリタイア以外にも、クレジットカードやスマホを乗り換えようかな、今度の週末は何を食べようかな、そういえば欲しいゲームがあるから今度買おうかな… とか。そんなかんじで集中して労働する時間と、手を止めて楽しいことを考える時間を、交互に切り替えていると、気が付いたら一日が終わっていたりする。

同じ職場の正社員の人たちは忙しそうだけど、私はどんなに長くても3年で離職する身。同じ職場の人たちがスムーズに労働できるような努力や気遣いはするが、それ以上のことをする気はない。そう考えれば気楽なものだ。

 

ただ、一つ気がかりなことがあって、こないだ派遣会社の担当さんと10分ほど面談(仕事はどうだとか、契約更新できそうかとか)して、そのときに「電話業務は付随的なものだと聞いていたのに、実際には一日中かけ続ける日もある。自分は電話業務は苦手なので、電話業務メインの日があるなら、あらかじめ教えて欲しかった」と軽く抗議したところ、「あ、そうでしたか、ハイ!ハイ!どーも、すみません!」みたいなかんじで対応されて、ホントに分かってんのかコイツ… と担当さんに不信感が芽生えてしまった。(笑)若い人だし、髪もボサボサだから忙しいんだろうけど、頼りないんだよなあ。

ま、バイト時代より(30分だけ)短い労働時間で、500円くらい時給上がったし。「派遣なんてこんなもんか」ってかんじで、マイペースにやっていこうと思う。

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『養生訓』江戸時代の本草学者が語る、(一部)令和時代にも通用する健康指南書

出版:1712年(今回読んだのは2020年に中公文庫から出版された翻訳版)

著者:貝原 益軒(かいばら えきけん) ― 福岡藩の本草学者(主に中国の医学に精通する学者)および儒学者。

 

概要

著者の貝原益軒は小さい頃から病弱だったため、頑張って勉強して偉くなり、現代人に負けず劣らず84歳まで長生きした。70歳で引退して執筆家になり、『養生訓』を書いたのが82歳なので、そこらへんの現代的高齢者よりも達者な人生で、じゃあどうやって健康に気を使っているのか?という考えや実践方法をまとめたのが本作。本職の本草学が中国の医学に関する学問なので、作中にも中国の書物や中国人の名前がたくさん登場するのが特徴。

Wikipedia の『養生訓』のページに、原文を掲載しているサイトのリンクが貼ってあるので、わざわざ買ったり借りたりしなくても読める。

 

健康に生きるためのキーワード

養生の術は、まず自分のからだをそこなう物を遠ざけることである。からだをそこなう物は、内欲と外邪である。内欲というのは、飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、しゃべりまくりたい欲と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の欲のこと。外邪とは天の四気である。風・寒・暑・湿のことである。内欲をこらえて少なくし、外邪を恐れて防ぐのである。 

 これが本作の最初の方に書かれており、「内欲をこらえ」ることと「外邪を恐れ」、「養生」を実践する方法を伝授することが、本作の基本となる。これを一言で現すと、

健康を保って養生するのに、ただ一字大切なことがある。(中略)それは畏という字である。畏れることは身を守る心法である。(中略)畏れると慎みが生まれる。

なのだそう。現代風に分かりやすく言うと、「食べ過ぎるな、浮つくな、惰眠を貪るな、何でもかんでも喋るな、常に平静を保て、身体に悪いことをするな」ということになる。もっと分かりやすく言うと、「インスタ映え飯やら、恋活やら、休日の二度寝やら、ツイッターやら、エモいやらに現(うつつ)を抜かして、不自然な環境や食べもので身体を痛めつけると、長生きできないよ」ということになる。実に現代ウケが悪い。

ただ、耐え忍ぶことを美徳とする古臭い人なのかというと、そういうわけでもない。

およそ人間には三つの楽しみがある。第一は道を行って、自分に間違いがなく、善を楽しむことである。第二に自分のからだに病気がなく気持ちよく楽しむことである。第三は長生きしてながく楽しむことである。富貴であっても、この三つの楽しみがないとほんとうの楽しみはない。 

 カネを持つことより、健康で長生きして楽しむことを重要視しており、その点はセミリタイア思考に近い。(「善」を行うべし、という条件付きではあるが…) それなりにお酒も飲んでいたようだし、結婚もしている。しかも奥さんが亡くなった翌年に、後を追うように亡くなったらしいので、ただの健康オタクでは無く、人生の楽しみ方をちゃんと知っている人だったのだと思う。

 

興味深いのは、寿命に関する考え方。

すべての人間の生まれつきの天寿は、たいていは長いものである。天寿の短く生れついた人間はまれである。(中略)養生の術を知らず、朝夕に元気をそこね、日夜精力をへらして、生まれつきの年を保てないで早死にするのが世間に多い。 

「すべての人間の生まれつきの天寿は、たいていは長いものである。」の真偽は置いといて、300年前に生きていながら、

人間のからだは百年を期限とする。 

 という人生観をもっていたことに驚く。医学の発達で寿命が伸びたとされている現代人ですら、一体何割の人間が「人生百年」を意識して、ましてや健康に気を使って、生きているのだろうか。貝原益軒からすると、300年前の人間も健康に悪いことが大好きだったようだが、それは現代でも変わらないし、インターネットの普及や消費活動の加速度を考えると、むしろ悪化しているともいえる。まあ、健康に気を使う人間も一緒に増えてるけどさ。さらに、こんなことも書いている。

人生は五十にならないと、血気がまだ安定しないで、知恵もまだ開けない。五十にならないで死ぬのを夭という。これもまた不幸短命といわねばならぬ。長生きすれば、楽しみ多く益が多い。(中略)学問が進んだり、知識が開けたりするのは、長生きしないとできない。

むしろ、長生きした方が人生が楽しいとまで言っている。(「益」のあることをする、という条件付きだが)夭折というと、普通は20~30代くらいを想像するだろうが、なんと50歳で死んでもまだまだ若い、というのだ。これをわざわざ本に書くということは、300年前の人々も「人生は若いうちが楽しい、年を取ればとるほどつまらなくなる」という考えが主流だったのだろう。現代と同じだ。年を取っても楽しむために、過剰な欲を抑えて、健康に気を付けるという考えは、医療が発達して寿命が伸びれば伸びるほど、重要になる人生観だと思う。「もう○○歳だから、これができない、あれをするべきじゃない、若い頃にもっと…」というネガティブ発言ほど、つまらないものはない。このフレーズを使っていいのは「もう30歳だから結婚や正社員就職なんて無理なんです…(だから恋人&正社員至上主義を押し付けるな)」という風に、自分と相容れない思想の押し付けから身を守るときだけです。

 

 時間がない人のための『養生訓』のようなもの

で、健康になるための具体的な方法だけれど、やはり300年前に書かれていたということもあって再現性が低い方法も多い。具体的な方法を知りたい人は、自分が気になる部分をつまみ読みするくらいで良いかもしれない。ネットでも拾えるし。

なので、個人的に面白かった記述を何個かピックアップしてみた。江戸時代の健康方法を再現するのは難しいが、考え方は令和の人間でも十分に共感できるものが多い。面白いなと思った人はぜひ本を手に取って読んでみてください、全部。

 

およそ朝は早く起きて、手と顔を洗い、髪を整え、朝の行事をすませ、食後にはまず腹を何度も撫でおろし、食気の循環をよくする。また京門(左のわきばら)のあたりを人さし指の内側でななめに何度も撫でるがよい[直腸に刺戟をあたえて便通をうながす意味であろう]。腰も撫でおろし、下部を静かにたたく。きつくたたいてはいけない。もし食気がとどこおったら、顔を上むけて三、四度食毒の気をはく[げっぷを出す意味か]。朝夕の食後にながく楽な姿勢で座っていてはいけない。横になって眠るようなことは、けっしてしてはならぬ。(中略)気がふさがって病気になり、たびかさなると命が短くなる。食後はいつも三百歩あるくことにするがよい。

腹を撫でるというのは、最近だと「腸マッサージ」として主に便秘体質者の間で流行っている。ゲップが良いってのは初耳だけど。ただ、食後にじっとしないで歩くのってどうなんだろう?私は食後に動きすぎると、お腹痛くなっちゃうけどなあ。

 

昼はけっして横になってはならぬ。(中略)もしひどく疲れたらうしろに寄りかかって眠るがよい。もし横になるのだったら、(中略)ながく眠ったら人によびさましてもらうがよい。 

 昼間に横になると、夜は眠れないし身体もダルくなるから、私も好きじゃない。仕事中に寝る場合も、15分くらいで起きる方がよい、って言われてるしね。

 

山の中でくらしている人は多く長命である。(中略)山の中は寒くて、からだの元気をとじかためて内に保存してもらさない。だから命が長い。暖かい地方は元気がもれて内に保存することが少ないので命が短い。また山の中の人は交際も少なく、静かで元気をへらさず。万事ものが少なく不自由だから、自然と欲も少ない。ことに魚類がめったになく、肉を腹いっぱい食べることがない。これが山中の人の命の長い理由である。 

むしろ寒い地域ほど短命な印象があるけどね。人が少ないとストレスが溜まらず、長生きできるってのはわかる。「魚類がめったになく、肉を腹いっぱい食べることがない。」とあるのは、江戸時代には(獣の)肉食はまだ普及してなかったからか。

 

およそ薬・鍼・灸・導引・按摩・温泉療法の六つは、その病気と治療とがうまく合うかどうかをよく選んでやるがよい。適応症を知らないでかってに用いると、間違って害になることが多い。 

 薬に頼りすぎるな、ってのは分かるけど、現代では健康に良いとされる鍼灸や温泉も、使い方を間違えると毒になるという。鍼灸は行ったことないけど、温泉は合わないと肌の状態が悪化することは本当。アトピーの症状が出たときに、強酸性泉である草津温泉に行ったのだけど、逆に荒れたことがあるから。

 

すべてのことは、十のうち十までよくなろうとすると、心の負担になって楽しみがない。不幸もここからおこる。また他人が自分にとって十のうち十までよくあってほしいと思うと、他人の不足を怒りとがめるから、心の負担となる。また日用の飲食・衣服・器物・住宅・草木などもみな華美を好んではいけない。多少ともよければ間に合う。 

 これは色んな人に刺さるんじゃないかなあ。「何でも完璧を求めすぎると病んで不幸になるよ」ってこと。「他人に求めすぎるな」ってのはアドラー心理学でも言われている、ということを『嫌われる勇気』で知った。

 

古人がいうのに、酒は微酔(ほろよい)にかぎり、花は半開きに見るのがよいと。 

 時と場合によるんじゃないですかね。

 

大風雨と激しい雷の時は、天の威を畏れて夜でもかならず起きて、きちんと衣服をきて座っていないといけない。 

 たまに迷信まがいなことも言ってるんだけど、こういうのに限って根拠が書かれてないから、もう迷信にしか見えないんだよね。

 

古人は詠歌や舞踊をして血脈を養った。詠歌というのは歌を歌うのだし、舞踊というのは手で舞い足で踏むのである。みな心を和らげ、からだを動かし、気を循環させてからだを養う。養生の道である。今日、導引や按摩で気を循環させるのと同じだ。 

 要するにカラオケとダンスは、氣功やマッサージと同じ効果があるってことか。

 

ご飯のあとでまた茶菓子といって餅やだんごなどを食べたり、あるいは後段といって麺類などを食べると、腹いっぱいになって気を塞ぎ、食のために害される。 

 「後段」というのは、お客様のために御馳走の〆の御馳走を出す江戸時代の習慣だそう。貝原益軒がビュッフェスタイルなんて見たら卒倒するかもね。

 

飲みものや食べもののことばかりいっている人間は人からいやしまれる。 

 すいません。

 

焼酎は大毒がある。 

 そいつぁ、ビックリだ!

 

四十歳以後は早くめがねをかけて視力を大事にするがよい。国産の水晶でつくったのがよい。拭く時は絹で両指にはさんで拭くのがよい。また羅紗で拭いてもよい。ガラス製のはこわれやすくて、水晶製におとる。 

 ここの驚きポイントは、昔の眼鏡は国産の水晶で出来ていた、という点です。

 

温泉のあるところへ行けない人が、遠い所から汲んできてもらって入浴している。これを汲湯(くみゆ)というが、寒い月は水の性質がかわらないから、これに入ると多少の益はあろうか。しかし温泉の地からわきだした温熱の気を失って、陽気が消えてなくなった腐った水なのだから、清水を新たに汲んだのより、性はおとっているのでないかという人もある。

温泉のお取り寄せは、昔からある湯治方法だったみたい。現代は輸送技術が発達してるから、水が腐ることはないと思うけど、やっぱり現地で入るのが一番だよね。

 

学問があって、医学にくわしく、医術に熱心で、たくさんの病気をみて、その経過を知っているのは良医である。医者になって医学を好まず、医道に志がなく、また医書を多く読まず、読んでもじっくり考えず、学理に通じなかったり、または医書を読んでも旧説にこだわって、臨機応変の処置ができなかったりするのは、医者でなくて職人である。俗医のなかには、利口で医学と治療とは別だとし、学問は病気をなおすのに不用だといって、自分の無学を弁護し、人情になれ、世事に熟し、権力者や貴族の家にへつらって近づき、虚名を得て、運よく世にもてはやされているものが多い。これを名づけて福医とも時医ともいう。 

 現代人に対する皮肉か、ってくらい真っ直ぐなお言葉。

 

いまの世間では、年とって子に養われている人が、若い時より怒りっぽくなり、欲もふかくなって、子を責め人をとがめて、晩年の節操を保たず、心をみだすのが多い。抑制して怒りと欲をこらえ、晩年の節操を保ち、ものごとに寛容で、子の不孝を責めず、つねに楽しんで残った年を送るがよい。(中略)子としては、このことを念頭において、父母が怒らぬように、ふだんから気をくばって、慎むべきである。

認知症って、昔からあったんだねえ。親孝行も大事だし、最期までなるべく健康な老人でいることも大事だよね。

 

老後は、若い時の十倍の早さで時が過ぎていく。(中略)むだに日を暮してはいけない。

グハッ ( ゚∀゚)・∵. ...

 

 刺されたので、今日はここまで。

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労働内容が聞いていたのと違っていた派遣社員の愚痴

今、酔っている。

どれくらい酔っているかというと、

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日本酒をしこたま飲んでそれなりにつまみも食べている時点で、さらにこれだけの炭水化物を摂取しようとしているぐらいに酔っている。ちなみに、時刻は23時50分。飲みに行っていた店はいきつけの所で営業時間は20時まで。え?3時間もオーバーしている?んー… 気のせいじゃない?(笑)

 

酔いが冷めないうちに書いておく。

もう酒は買ってないので、酔いが冷めたらテンションが保てなくなる。(笑)

 

世の中には、いろんな生き方がある。

その一端を、今日、聞くことが出来た。

30歳になって、今まで勤めていた会社を辞めて、一人旅をしたという話。

島を巡って、ウミガメの産卵のボランティアをするために会社を辞めた人と宿泊したり、北海道を母親と一緒に自転車巡りした人の話。

ハワイに移住して、陶器の買い付けをしながら(?)、過ごしやすい秋の時期だけ日本に戻ってくる人の話。

現代の資本主義に疑問を抱きつつ、そこら辺の資本主義的労働者よりよほど優秀な反資本主義思想の労働者の体験談。

持家を所有するなら、正社員になってからが良いという助言。

まあ、そんな色んな価値観をもった人が集うお店が私の行きつけでございますよ。

どの価値観も、私は否定しない。共感できるものは限られてしまうけれども。

 

無職になってから、今までの生き方、これからの生き方について、本当に考えた。

今も考えている。

そして、今は労働を再開しているけれど、この大不況のなか幸運にも拾えた派遣社員の労働現場にもかかわらず、それを手放そうかと考えている。ちなみに理由は、事前に聞いていた内容と労働条件が違うからだ。派遣あるある。

もちろん、「そんな考えは甘い!それだから正社員になれないんだ!自立できないんだ!」という人が大多数だと思う。そして、その考えは資本主義的に正しい。

でも、自分の能力的に最適でない労働現場を断って、最適な労働現場を要求することは、そんなに悪いことなのだろうか?恐らく、悪いことなんだろう。「逃げてばっかりじゃ、駄目だ!」これも、大多数の意見だと思う。そして、その考えは資本主義的に正しい。

だけど、私は正社員や労働からは逃げたい。逃げてもいいと思っている。何故なら、逃げないと生きていけない、資本主義に適応できない人間もいるからだ。そして、私がその人間に当てはまるからだ。

資本主義的に正しい主張をしている人間は、資本主義に適応している人間だ。だから、資本主義に適応できない人間とは異なる意見になっても、仕方がないのだ。そして、資本主義に適応できる人間の方が圧倒的に数が多く、資本主義は民主主義の社会でもある。だから、資本主義に適応できない人間の意見は少数派として無視されてしまう。そして、それは資本主義的に正しいことなのだ。

 

ということで、せっかく新しい職場を得たにもかかわらず、その職場を辞めることばかり考えている私は資本主義的に正しくない人間ということになるのだが、だからといって、どうすればいいというのだろう?

働き続けることは難しい。でも、働かなければ資本主義社会に弾劾されてしまう。かといって、30歳になってから「資本主義社会に混ぜてください(=正社員などの労働者として扱ってください)」と頭を垂れても、門前払いされる。でも、資本主義に貢献しないと(=労働しないと)弾劾される… どうしろっちゅうねん!!!

 

もちろん、30歳にもなれば分かる。資本主義社会が資本主義に適応できない人間に求めること。それは、独立も離脱もできない程度の資本力をもつ労働者になる、ということぐらいは。つまり、税金を納めるために資本を作り出す労働力となる人間だ。税金から逃れられるほどの貧困層にもならず、資本家の労働力としての立場を離れて自立することもない。それが、資本主義社会が資本主義に適応できない人間に求める、理想の人間像だ。

 

私は、その立場から逃げ出したい。

独立とか、稼げるとか、外こもりとか、ソーシャルディスタンスとか、格好の良いことを言うつもりは無い。

ただ、逃げ出したい。

もう、労働のために、資本のために、自分の人生を使いたくない。

この考えが資本主義的に間違っているということは、承知している。

でも、嫌なものは嫌だ。働きたくない。好きなことをしたい。人間らしく生きたい。労働するのは構わないけど、労働の為に人生を犠牲にしたくはない。

 

資本主義社会に適応できている人たちが、心底羨ましい。

リタイアや独立を促す人の中には、資本主義社会に適応できている人間を「社畜」と言って蔑む人もいるけれど、私はそんな考えは持っていない。

「社畜」と呼ばれる人々がいるからこそ、資本主義は理想の形として成り立っている。その恩恵を、誰もが何らかのかたちで享受している。だから、資本主義社会の利益を僅かでも享受している人間は、「社畜」と呼ばれる立場にいる人間に感謝こそすれ、蔑むなどお門違いも甚だしい。どうしてもそうしたいなら、カネを全て捨てて資本主義社会の恩恵を完全に断ち切ってからにして欲しいものだ。私は、「独立も離脱もできない程度の資本力をもつ労働者」として資本主義社会に受け入れられている彼らを尊敬しているし、心底羨ましいと思っている。

 

だって、そういう人がいなくなったら、私がセミリタイアすることもできないのだから。

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ブログのタイトルを変えた話

アルバイトではなくなったので、ブログ名を変えた。

私の現在の人生目標と生きザマが一目で分かるようにしたつもり。

「非正規」としておけば、今週始めたばかりだけど既に契約更新を断わりたくて仕方がない派遣社員を辞めることになっても、ブログ名はそのままでいいし。いやー、派遣社員は時給高いけど、長く続けられるもんじゃないね、ありゃ。

あんなに仕事を探していたのに、イザ始めると辞めたくなる。どこまでも労働者に向いていない性格なのだろう。資本主義社会では、真っ先に掃いて捨てられてもおかしくない人間、それがNatuXa…

まあとにかく、セミリタイアはします。します、というか、せざるをえません。このまま30年以上も労働することは不可能です。don't じゃなくて can't。無理です、死にます、壊れます。まともな何億人もの人々が「やればできる!」と合唱しても、私の知ったこっちゃありません。できないモンはできん!!!

 

本当なら40歳くらいまでは派遣で真面目にお金を貯めようかと思ってたけど、ちょっとそれも無理かも… というのも、少し調べてみると、今は200万円前後で家を建てられる世の中になっているらしい。200万円って安いな、おい!わざわざ派遣社員でキツい仕事しなくても用意できたんじゃぁ… 

いやまあ、セミリタイア資金が無いよりはある方がいいから、時給が高めの派遣社員になって損したってことはないね、ウン!労働がある日は1日に1回は本気で吐きそうになるけど、セミリタイアを早く始めるためなら小さな犠牲だよね、ウン!

 

…しばらくは、こんな愚痴なのか日記なのか記事なのか肥溜めなのか、分からないかんじで続くと思う。読者減りそー!ただでさえ少ないのに(笑)。

いやホント、こんなしょーもないブログをわざわざブックマークまでしてくれて読みにきてくれる方、本当に感謝しています。実は「読者になる」ボタンの数字が一つ増えるたびに、顔がニンマリするくらい嬉しいんだよ!

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派遣社員の労働が始まったけど不安しかない

派遣社員の勤務が始まった。今は、アナログな(紙)カタログ作成という簡単な仕事をやっている。

しかし、これは本来の業務ではない。おそらく今週中にでも、PCと電話を使った本来の業務が待っている。

他の派遣さんの仕事ぶりを見ていると、一日中PCや書類と向き合って、電話で忙しそうに会話をしている。私に、あんな仕事が務まるのだろうか。しかも週5日で3年間も…今まで本格的な事務の仕事はしたことが無かったので、不安に拍車がかかっている。うぅ、やっぱりアルバイトの方がよかったかも。時給は低くなるけど…

もし、仕事のレベルに付いていけなかったら、労働契約は打ち切りとなる。もし今度の職場も駄目だったら… 実家に戻ることも視野に入れている。

 

とにかく、フとした瞬間に不安で不安で溜まらなくなる。

労働に没頭しているときや、家でリラックスしている間はしばらく忘れられるんだけど、ちょっと空白の時間が出来たときにネガティブなことが落石のようにふりかかってきて、吐きそうになる。

 

冬なのに太陽が昇る前に起きなきゃならなくて辛い。

お腹が空いてないのに無理やり食べなきゃならなくて辛い。

満員電車が辛い。

「使えないヤツが入ってきた」と思われてるんじゃないかと恐ろしくて辛い。

毎日、興味のないことを何時間もやることが辛い。

天気が良いのに散歩ができなくて辛い。

そのうち大きな失敗をして、職場の人たちを敵に回すんじゃないかと思うと辛い。

右手にアカギレができて辛い。

 

今までの無職生活が非常に快適だったのに、そこからいきなり(同じ非正規とはいえ)初めての職種に挑んでいるのだから、最初が物凄く苦しいのは分かっているし、もしも仕事に慣れることが出来れば、アルバイト時代よりも多くのセミリタイア資金が手に入ることも分かっている。でも、頭では分かっていても、感情が言うことを聞いてくれない。吐き気をこらえながら働くのは、辛い。

今すぐ実家に飛び込んで「もういやだ!働きたくない!」って泣き叫びたい。友人の家に駆けこんで「あんなに応援してくれたのに、やっぱり働けない!ごめんよー!」と謝ってしまいたい。行きつけの店に行ってしこたま飲んで何もかも忘れてしまいたい… でも、そのお店は緊急事態宣言のせいで今は20時までしか営業していない。大体、コロナじゃなければ今も派遣じゃなくてアルバイトでいられたかもしれないのに… コロナめ…

 

と、まあ、コロナに責任転嫁してみたりもするが。

頭では分かっている。

どこかで、本気でセミリタイアについて考えなければならないと。

どこかで、セミリタイア資金を溜めるために努力しなければならないと。

失業給付を受けながらの他人頼りではなく、「今は無職で、好きなことやってます!」と堂々と言えるようになるために、ある程度は己を犠牲にしなければならないと。

それが、今なんだなあと思っている。

負けるかもしれないけどね。負けたらすいません。

 

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いったん自殺率減ったのに、けっきょく戻ったどころか増えてた

去年の5月に、こんな記事を書いた。

wataridori-project.hateblo.jp

 

そして今日、こんな記事を見つけた。

news.yahoo.co.jp

私が記事にしたコロナ1波(~6月)で自殺者が減少した理由は、労働から解放されて精神的余裕ができた人が増えたことで、減ったんじゃないかとある。私の考えと大体同じだ。

ただ、2波(7月~10月)は一転して増加。特に女性と未成年の増加が著しく、未成年に至っては1.5倍になったらしい。詳しい内訳は、e-stat にアップされたレポートで確認できる。

f:id:NatuXa:20210116171952p:plain

これね。

記事だと女性と未成年の増加が強調されているが、これはコロナの不景気のあおりを真っ先に喰らった経済的に不安定な層が、女性や未成年に多かったからかな?

ただ、私がレポートを見て一番ギョッとしたのが、20代~84歳までほぼコンスタントに100~150人ほどが自殺しており、(65~69歳だけ100人を切っている)明らかに減少し始める年齢は、なんと80歳以降。いや、80歳ってとっくに年金貰える年齢じゃん… セミリタイア信者の私からすると羨ましい限りの境遇なんだけれど、それでも自殺に至る理由があるらしい。しかも自殺できるってことは、寝たきりや認知症でもないのに。

 

このレポートでは自殺の理由や、年齢別の前年比までは分からないので憶測になるが、やはり経済的に困窮しての自殺者が増えているのではないだろうか。女性や若者に関しては、恐らく当たっていると思う。たった一年でいきなり1.5倍も自殺者を増やしてしまうほどインパクトのある社会変化は、(宗教レベルの)未来への絶望思想が急速に広まったとかでなければ、経済的困窮の他にはちょっと思いつかない。外に出られないストレスだけじゃ、さすがにここまで増えないよねぇ…

ただ、男性に関しては7.4%の増加にとどまっている(それでも多いが)ので、この数値が今年でどう変化していくかを見るべきなんだろう。高齢者に関しては、年金だけでは生活できず足腰立たないのに就職活動を余儀なくされることも多いときくが、このまま不況が進めばそういう人たちも危ない。いや、もう数値に出ているのかな…

 

経済に関しては、転職エージェントの人たちが口を揃えて「2021年の転職市場はヤバイ」と言っていたので、本当にヤバいのかもしれない。2020年もけっこうヤバかった気がするが。

倒産もレナウンやエアアジアなどがあったが、今日は大興製紙が経営破たんしたという記事を見た。まあ、ここは以前から業績不調だったらしいので、コロナは関係ないかもしれないが。

 

(2021年1月19日追記)

女性の自殺増は、家庭内暴力の影響も大きいとのこと。

news.yahoo.co.jp

考えてみれば去年も同じことが話題になっていたのに、すっかり抜け落ちていた。ほら、私、お相手がいないからさ…

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半年ぶりの労働が不安だ~~~~!!!

最近は労働開始に向けて、エクセルの勉強→やり残したゲーム、というルーティーンの繰り返し。ニュースはコロナの報道で目白押しなので、ブログに書くことも無かった。

当初の予定から少し早まって来襲の月曜日が初出勤。

初日でクビキリされないか、労働現場の人たちに疎まれないか、働きづくめの日々に耐えられるのか、不安で仕方がない。約半年間の無職生活が理想的な日々だったから、余計にそう感じる。あと数日で、生涯で最も人間らしく過ごせた(と感じている)日々が終わってしまうなんて信じられない。

ただ、今回の就職は「1日でも早くセミリタイアを実現する」という目標がハッキリと定まっており、今までのように漫然と働くわけではない。だから、少しは労働への抵抗感も減ってくれるといいな… と願っている。前職はバイトだったにも関わらず、最後の方は通勤するたびに頭痛や吐き気でフラフラだったが、もうあんなのはゴメンだ。

不安はもう一つあって、自由に使える時間が大幅に減ってしまうこと。無職期間も時間が足りなかったのに、労働者に戻れば1日のうち10時間は労働のための時間になってしまう。寝たり食べたり洗ったりする時間も含めると、自由時間は多くても5時間程度。この5時間をどのように使うか、休日はどのように過ごすかが、労働にも耐えていける充実した人生にしていけるか、ひいてはセミリタイアを実現できるかどうかの分かれ目になっていくのだろう。恐ろしいのは、「労働以外の時間が1日に5時間もあって、週休2日までもらえるならマシ」という日本の常識だろうか。労働が生きる目的になっている人はそれでも良いだろうが、そうじゃない人にとっては全然足りない。目的以外のことに時間を取られているのだから、当たり前なんだけどね。

 

労働はあくまで、セミリタイアを1日でも早く実現するための手段。それを絶対に忘れないようにしなくてはならない。労働のことで悩む日々から、早くはやく解放されたい。

そのためにも、ただ働いてカネをもらうだけではなく、そのカネの使い道も、普段からセミリタイアに向けてどのように成長していくのかも、キチンと考えて行動していかなくてはならない。資本主義を変えることはできないが、何も成長してこなかった今までの自分の人生は何としても変えなくてはならない。

じゃないと、10年経っても20年経ってもブログ名は「週休○日になりたい労働者」のままだ… そんなのは嫌だ~~~!!!早く「セミリタイア」の看板を掲げられるようになりたい~~~!!!

 

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